チャンス

一生の間には数限りなくチャンスと言うものが訪れることがあるだろうけども、世界一の技術習得とか人間ワザとは思えないものに出逢い、そのチャンスをモノにする機会を手に入れることはなかなかに難しいことである。以前に若い頃に熱中した武術は何年練習しても同じことの繰り返しで、それ以上の上達は叶わぬことであった。いわば金太郎飴を作るようなもので段々と私の情熱を削いでいった。品行宜しからぬいわゆる師と言われる人物がいたことも拍車をかけて、尤氏長寿養生功にのめり込んでいった。師匠が女性で、瞑想が武術のチカラとなると聞き、氣が東洋医学の基本で、鍼灸の効果実績に貢献することもあり、余計に毎日訓練に精を出した。師匠の師母は練習中に好、ハオと言うことは誰にも無かった。私はそれなら好、ハオと言わせてやろうと、私の負けず嫌いの性格がムクムクと出て来て、ついには師母がハオと言うところまでに上達したのであった。世の中の人がこんな類い稀な武術を教える武術の達人に出会うことはないだろうと思い、あまりに面白いその技術を身につけて武術の大成と東洋医学の本質を極めることに自分の人生をかけてみようとしたのである。その甲斐あって、今では尤氏長寿養生功を教授するまでになった。しかも、教えられたままではなく、私の体験から築き上げた私の世界も表現している。伝統とは、ただワザを伝承するだけでなく、革新して次代に引き継ぐことでもあるだろう。これからという時に辞めていく者も出ているが、勿体無いことではある。 何も自分の中で熟成しないうちに訓練を辞めてしまえば、それっきりで私が師母の道場に誘った者も何も達成せずに終わってしまった。この尤氏長寿養生功は訓練すればするほど上達する。単なるワザや技術ではなく、深い瞑想の奥に潜むエネルギーの開発なのだ。深奥に到達するまで瞑想し続けることが出来なければ、極めたことにはならない。私が強制出来ることではないので、そのままにしておくしか方法は無い。チャンスは我々の人生を変える。滅多にないチャンスはモノにしないといけない。幸せになれるかなれないかの瀬戸際である。

喜びの奇跡

またひとつ、奇跡が起こってしまった。十一月にタヒチ出発の予定が、あちらの市長さんの政治的な問題で、私の招待の市行政の支出が反対政党の台頭で難しくなっていたので、私の招待航空券が出ないことになっていたのだが、昨日新規入会した道場生が貯めたマイレージのポイントをオファーしてくれたのであった。しかも、私が脚を飛行機内で伸ばせるようにビジネスクラスであった。突然の、あまりに奇跡的なオファーにホッと胸を撫で降ろして、いつもは一杯だけのビールが二杯になった。昨日の時点でタヒチの関係者に連絡して、日程を告げて、十一月のタヒチでの治療とビジネス環境を整える段取りはついたのであった。先回のタヒチ行きの時も奇跡が起きて、私の航空券の代金がアメリカの私の家の管理費の過剰支払いに対する還付金が降りて、そのお金で行けた訳であったが、今回も意外なオファーで助けられたのであった。タヒチに関しては、奇跡が二回起こって助けられたのである。不思議な気持ちで、願って何とかならないか?と思っていると何とかなった事実にまた神様に感謝を捧げて昨晩眠りについたのであった。とても嬉しく、全ての縁に感謝せざるを得ない。毎日一生懸命に生きている姿を何か大きなチカラが認めてくれたのであろう。何か否定的なことが起こっても腐らずに、するべきことを毎日一生懸命していることが認めてもらえるのである。朝晩の瞑想と懸命な術後のリハビリを続ける私は立ち上がる時に強烈な膝の痛みに悲鳴を上げながらも、少しだけでも立って左脚を伸ばして立って慣らすと、痛みがマシになって、歩けるようになっている。No pain,   No gain,と思い、必死に痛みに耐えている。タヒチで待っている患者がいる。私の痛みを乗り越えて、彼らの痛みを取ってあげねばならないと思えば、他人の為にすることには神様が助けて奇跡を起こしてくれるのである。

感性

感性とは自分の中に入って来た情報の印象を自分に受け入れる能力や感受性  を言うが、身近な例で言えば、ファッション関係者にその感性が問われる場合が多いだろう。しかし感性はそんな狭い分野だけに止まらない。感性の本、核の部分があれば、多岐の分野に応用出来るであろう。ではその核の部分とは何であろうか?私は尤氏長寿養生功を三十年の長きに渡って、毎日その訓練を毎日して来た。尤氏長寿養生功の原型は中国一の強さを誇る、実戦第一の、ホンモノの武術の意拳である。ドクター尤は意拳王向斉老師の第一の弟子であって、当時、医学第一の国であるドイツに留学して中国上海で皮膚科の医師となった。当時最先端の医学と中国一の武術を学び、意拳の立禅である站椿功に健康長寿の秘密が隠されていると直感して、医師の立場から意拳の站椿功を研究してチベット密教の瞑想と融合合体を試み、ドクター尤の教養と中国の歴史的遺産の中国武術内家拳の独特な感性から、世にも類い稀な尤氏長寿養生功を創設したのであった。三十年に及ぶ長寿養生功の修行によって、私の感性は磨かれて、私の中国医学の医師としての感性は私の生きる上での哲学の基本と核として、氣功を中心とした簡素でスピリチャルな生き方を目指して一日二十四時間を瞑想を主体とした生活をベースにライフスタイルを確立した。その結果、私はこの上ない幸せを手に入れた。どこで何をしても、何を食べても、楽しく、美味しい、嬉しい人生となった。人によっては、衣服に、車にカネをかけて贅沢する。あたかもそれが人生の目的のように振る舞う者を横目に見ながら、そんな人生は空虚で中身のないものに感じて、私自身は私の感性を持って、私の人生を切り開いて来た。私の身体は身体障害者となった今も、下半身は筋肉がついてドッシリとしているが、上半身にはあまり筋肉が無く、軽くスッキリしている。いわゆる上虚下実となっている。横になって目を閉じれば、いつでも眠れる。情報を得ることには貪欲で、知識欲は旺盛で、頭の回転は若い時より早く、記憶力は衰えていない。先日の手術の際の私の10桁の患者番号を記憶して看護師をビックリさせたばかりだ。感性とはファッションの世界にあるようなものでは無く、人としての生きざま、生きる指針となるものであると私は思う。ドクター尤はすでに故人となられているが、私が最も尊敬する、カッコイイ、感性豊かな氣功と人生の師である。

ナルシスト

生まれた環境の中で育てられ、精神的疾患のパーソナリティ障害者のひとつの、自己陶酔型で、自分が世界一美しい、自分の才能のなさを何か自分に高下駄を履かせてしまい、無理にでも、自分を美しい能力のある人間として他人、社会に認めさせようとする醜い心の人間である。男にも女にも良く見られる精神、心がカタワの者である。実際に美しく能力があれば、問題は起きないが、特に何をさせても能力が無ければ、ウソをつき、自分を大きく見せて、あちらこちらで大ボラを吹いて、いろいろと問題を起こして他人に迷惑行為を行なう。歳を食っても、その尊大でウソをつき、何か起きた時には、自分を責めることは無い。他人のせいにして自分は何も悪くない!あいつの責任だ!と他人を責める。自分の欲しい物はゴリ推ししてでも欲しがり、迷惑を周りにかけて、マズイことが起こるとすぐトンズラして逃げ回る。幼少期に起きたトラウマが原因だから、その解決しようとする解決法は大人の対応は出来ない。幼稚園児のような行動をする。身体は大きくなっても心は成長しなかった。アンバランスな心と年齢、身体の差を埋めようと、さらなるウソをつく。ここまで来ると、大人の責任を犯罪者としての刑事事件として扱われ、刑事罰を受けることになる。小学生でもしない行動を、五十近くになっても平然と取ってしまうのである。心は幼稚園児だから、小学生以下の行動をしても自分では不思議に思わない。ウソをついてカネを取る行為は一般社会では詐欺と言う、立派な犯罪となることを知っていたのか知らなかったか、私には知る由もないが、ウソをついてカネをくすねて、十年も逃げ回った事実は厳然として存在する。厳正な法律で裁かれる日は近い。五十近くになった人間が裁判官の前で、幼稚園児として扱われることなどはない。

瞑想と運動

最新の医学は瞑想と運動が健康に大きな貢献をすることを医学的に解明をしている。瞑想も運動も東洋文化には何千年も前から武術に於いては、当たり前に行なわれて来ていることである。その瞑想と運動の結果、脳内に神経伝達物質、 Neuro Trannsmitter  と呼ばれる身体の調子を整えて健康を取り戻すホルモンが多量に出ることが分かって来た。クスリを飲まなくても、身体の健康を取り戻せる方法が生み出されて来ている。そして、食事についても、研究が進んで、どの病氣にはこの食べ物を食べると言う食事療法も解明されて来ている。このまま行けば、処方薬としての処方箋に瞑想何十分、運動何十分、この食べ物を一日3回何グラムと処方される日が来るかもしれない。革命的な治療が我々を待っているだろう。アメリカでは、名医と言われるドクターがテレビに出て来て、この病氣にはこの食べ物が良いと言うようになって来た。面白いことに、身体に良いと言われる、名医が勧める食べ物は殆んどが沖縄を始めとする日本の食べ物である。そのうち瞑想と運動も名医が勧める療法として取り上げられることであろう。すでにうつ病の特効薬としてチベット密教の瞑想がハーバード大学の医学部で研究されて、この瞑想が処方されている。尤氏長寿養生功では何百年も前の中国武術を基本にチベット密教の瞑想を融合させて、氣功の中に瞑想と、武術の基本訓練を運動として取り入れて生涯教育として修行として、楽しめる生き甲斐と なる内容になっている。楽しみながら、瞑想と運動を続けて健康と長寿を全う出来るのである。人間が最終的にたどり着く生きる目的の健康と長寿、を考えて実際に行動して手に入れることの出来るものである。身体障害者二級の私は膝の動脈修復手術後に脚はパンパンに腫れてハンパ無い脚の痛みでうまく歩けない身ではあるが、瞑想は入院中も退院後も続けて、少しずつでも回復の一途をたどっている。化膿もしていない。後は脚の痛みと腫れが引くのを待つだけのことである。手術前に痛みも腫れもなく、大股で歩いていたから、また同じようになるのを目標に毎日瞑想と運動をして回復を待つしか無い。

仁と徳

仁とは人を慈しみ、愛する心である。そして、徳とは人から慕われて、愛される人間性のことである。特に東洋の国に於いては、今なお、多くの人を率いるに、まさに日本に於いては、組織の長には不可欠な人徳、人間性であろう。ましてや、武術団体の長であると自称する者が、パーソナリティ障害を持つ心的疾患を持ち、自分しか愛せない、キャラクターで、迷惑行為ばかりで道場生にも愛想をつかされて、謝罪することも無く、ただ逃げ回ることしかしない幼稚園児のような行動を取る者には、組織団体の長になるのは、とてもじゃないが、無理である。ましてや、武術団体のような保守伝統的な倫理観を持たねばならない、また、仁と徳を持つべき組織団体の長がカネの不祥事を起こして十年も何の返済と連絡もなく、逃げ回ることだけしかしなかった自称宗家創始総師範は一発レッドカードで、退場、即刻組織団体を畳んで、昼も夜も働いて奪ったカネを返済することが急務である。未だに知らぬ存ぜぬ、では済まされない。裁判に引きずり出され、以前所属していた日本拳法の団体からも放逐される。私には破門されて、親戚にはもう相手にはしてもらえない。太田道場の道場生は誰一人従わなかった。日本拳法のチャンピオンのタイトルもそのままキープできるとは限らない。剥奪される可能性は大きい。そして、今集まっている日本拳法の落ちこぼれ達もいつまでそのニセ団体に残るかも定かではない。どんな分野に於いても、仁と徳の無い者が想いを達成することは無い。

氣による革命

私のこれまで体験して来た、壮大な実際の氣の自分に課せた言うなれば「実験」はどんなことであっても、奇跡的な結果を私にもたらして来た。私の身体に革命を起こして、小さな共同体に革命を起こし、ついには、南洋の国に島々に今また、変革を起こそうとしている。この事実は、私が学生の時に否が応でも、学生寮の中で新入生の時に経験させられたニセ革命もどき学生運動とは全く正反対の本格的な自己革命と社会革命である。革命と言えば、血を流す凄惨なものを想像するだろうが、この氣による革命は一滴すら血を流さぬ平和の革命である。人類に確実な未来をもたらす強力なエネルギーを持つチカラを発揮するものなのだ。しかも私はそれを私一人のチカラで革命を起こして行こうと思っている。第一に私の身体の革命を起こしてから小さな共同体、社会に変革を起こす。ついには南洋の国、タヒチにさらに大きな変革をもたらして革命を起こすのである。小さな社会までは私一人のチカラで変革を起こすのは可能であろうが、そこから先の大きな社会、島々、一国相手には多くの人の協力が必要となる。次にタヒチで、会食をするタヒチの要人はタヒチの教育大臣である。そしてそこから、タヒチの大統領との面会に繋がるはずである。タヒチは人と人の繋がりで人脈のネットワークは驚くほど速く、繋がりは強固だ。ここでの革命は学生時代の運動家が目指したオナラのような腐った革命よりはずっと本格的で具体的な実現可能なものなのだ。氣はそれほどにチカラのある、革命の手段となるものである。しかも私の身体だけでなく、教育大臣の持っていた肉体的問題を解決して大統領の持っているであろう問題も氣による治療で完治して、そのパワーに驚くタヒチの要人たちが私の提言を聴いてくれて、タヒチと日本の文化交流と人的交流が盛んになってタヒチの社会革命、変革が可能となる。私は心のワクワクするのを止められない。考えるだけで興奮してくる。今まで経験したことのないプロセスを経て壮大な社会的実験は行われる。一人の日本人がタヒチの人口五十万の社会を変えるのだ。私が尤氏長寿養生功を訓練し始めて三十余年の時を経て、私に蓄えられた氣は、ついに一国の社会を変革するところまで来た。一切の説明もなく、ただ、立て!座れ!瞑想しろ!動くな!との指示に怖る怖る、従う私が尤氏長寿養生功を教授する立場となって一国の大臣と友人になり、大統領とも会食をするところまでたどり着いた。こうなったら、行き着くところまで行くしかない。私の人生を再生し、夢と希望を持たせてくれて、実現してくれた師母とドクター尤老師の尤氏長寿養生功に感謝を申し上げる他に私の気持ちを表現する方法は無い。一人の人間をこんな高みにまで引き上げてくれるものは私の知る限り、尤氏長寿養生功しか無い。感謝に耐えない。