未来を共に歩む者
未だ私が会っても、話してもいない者へ
これを書いている。今はずっと年下で 少年少女かもしれないが、日本全国の
何処かに彼らはいる。未だ縁がない。
私がアメリカより帰国して、私が想像していたより早く太田氣功道場の運営は
指導員と一般道場生の強力な支援のお陰で順調に軌道に乗っている。千葉に
支部第1号が作られる。要請があれば、
いつでも私はお手伝いに行って、デモや
講習会を開催する心づもりである。
不思議に海外の意拳協会会長が私の無二の親友であった。私がその友人を二十五年ほど前にタヒチで勁空勁で投げたその時の衝撃的な印象が、残っていたのであろう。タヒチはフランス領である。
将来のことは何とも言えないが、彼の
子ども達がパリに住んでいる以上、
いずれフランス本国に尤氏長寿養生功が
海を渡るのは時間の問題だろう。
来年二月にタヒチで講習会が開かれる。
彼の率いる団体の生徒達の家族もいる。
講習会を受ける人数の裏に家族の数の分
だけフランスと否が応でも繋がってしまう。日本でも、このブログを読んだり、
太田氣功道場のホームページを読んで、
この氣功に興味を持ち、入会する者は
加速度的に増えるはずである。時間よ
早く過ぎろ!未来を共に歩む者よ、早く
太田氣功道場に来たれ、縁が出来て
我々と繋がることが出来れば、いずれ
タヒチやフランスに共に行って、同じ
氣功を訓練する機会が訪れる。未だ
会ってはいないが、想いはすでに会っている。時期が熟してない。縁が未だない。時熟すれば、我々と必ず出会う。
その時このブログ記事を読めば、
今、未来と言っていた時は、私が必ず
出会うと言った者が、我々と出会い、
同じ訓練をして同士となる。我々は
見えない糸で結ばれている。今は
分からないだろうが、その日出会えば、
私がタヒチの友人と出会い、二十五年後には意拳協会会長になっている。その事実を想えば、人間の出会いは不思議なものである。過去の小さなことが、実は
小さくないのであるが、未来に大きく
なって、実を結ぶ。未来を共有するのである。自分の人生を大きく変えて、新たなステージに突入させるチカラのある
尤氏長寿養生功との出会いを楽しみに
今は勉学に励むが良い。今は一生懸命に
仕事に励むが良い。私も修練に日夜
努力精進する。未来を共に歩む者にいずれ教える技術、ワザをその時にベストな
状態になっている為に、その時は君らに
恥ずかしくない私を見てもらう為に、
私は訓練瞑想の努力精進を惜しまない。
好きなものの継続
スポーツで成功している者の話を聞いているとどんなスポーツであれ、共通点がある。さまざまな理由で辞めたくなる
時期は来るようである。しかし、ホントは辞めたくない。そのスポーツが好きだからだ。私の場合も辞めたくなったのは一度や二度ではない。余りにキツイ拷問のような訓練、先輩同輩のイジメ、
恵まれない境遇などの逆流に逆らいながら、私には面白くて面白くてたまらない氣功であったからである。そして師母が
人間的に厳しく優しく面白く憎らしく、
幅の広さを持って、私は師母が大好きだったからである。継続はチカラなりとは言うが、継続したいものに魅力がなければならない。ただ継続するのではない。
私が若い時熱中した少林寺拳法は
ある日、魅力が無くなった。集まっている人物にも失望した。同じことの繰り返しでそれ以上の階段は登れない。確かにワザの豊かさがあっても昇段試験の為としか思えない。昇段試験の料金は高い。
辞めるしかない。尤氏長寿養生功は
習得するに一生かかるほどの難しさ、
医学的な背景、技の奥深さ、他の誰も出来ていない技術、師母のキャラクター
などがある。そしてワザはレベルに応じて自分自身が作ることができる。私が好きになるものとして不足は無い。訓練すればするほど好きになる。
師母しか、世界に一人しか、教える人はいない。まさしく、何が何でも習うしかない。そんなものなら、継続するしかない。私がこの氣功に私なりに小さくても花を咲かして受け継ぐことに成功したのは何があっても、継続したからであった。習うに
充分な環境と才能があった訳ではない。
充分ではない才能を補うものは毎日の
努力精進と継続であった。
自分がとても愛するものを見つけること、好きなものをとても好きになって、
愛することができるようになるまで好きになること、その好きなものを継続すること、が成功する、花を咲かせることができる秘訣、コツである。
どんなことがあっても、辛くとも、
諦めてはいけない。腐らずに焦点を、
何年も先に焦点を合わせて今日も訓練
することである。そのうちに自分の中で
何かが起こる。私はこの氣功の秘密、技が一つでも出来ないうちには死ねない。
宇宙の秘密を探らないと死ぬことは
出来ないと思い、訓練を続けた。
もう一度言うが、何であれ、その道の
達人、頂点に立つには好きになって、もっと好きになって、愛して、継続することである。中途半端はいけない。
継続はチカラになって、近道になる。
高速道路
最近、追い越しレーンに止められた車にトラックが追突して死亡事故があった。
バカなオトコの意地が死亡事故を引き起こす。アメリカのフリーウエイでは
日常茶飯事にこんなことは起こる。
肉を食べてアドレナリンが過剰に出る
ようになっているので、アメリカ人は
キレやすい。私もちょっと接触しそうになった車から食べカスのリンゴを
フロントガラスにぶつけられたことがある。もう一つは身の危険があった。
高速道路をすごいスピードで走る車に
注意のつもりで並走してスピードを落とすように手で合図をしたら、ピストルを私に向けた黒人がいた。隣に乗っていた
私の知り合いは恐怖で悲鳴を あげていた。アメリカ人の多くは低血糖症と
言われている。肉食と低血糖症では
精神が落ち着くことはない。朝ごはんが
シロップをいっぱいかけたパンケーキ
では血糖値が急激に上がって、アドレナリンがたくさん出て血糖を下げようとするので大量のアドレナリンが戦闘モードを作って人間を攻撃的にするのである。
この過失でも殺人の結果を引き起こしたオトコは食事がバランス無く、甘いものが好きで、低血糖症であったに違いない。野菜をもっと食べて血糖値の急激な上昇をコントロールしないといけない。
パン食い競争
先日のデイケアでは、秋の運動会と
称して、パン食い競争があった。
私の競争相手は私より年上に見える
お年寄りの女性であった。ヨーイドンで出発した相手の脚は元気で、私は出遅れた。負けず嫌いの性格の私は全力疾走
した。ツモリであった。腕の振りは、
ウサインボルト並みだが、脚は一向に進まない。
杖を小脇に抱えてこの女性を抜いて
パンまでたどり着く。手で取ったパンを
口にくわえて、また腕だけ全力疾走で
ゴールにたどり着く。私が勝ってしまった。
オヤツのアンパンは微妙に美味しかった。
こんなお年寄りの女性にまで競争して
しまう私の性格を何とか変えないと
百二十五歳までたどり着くのは
難しいと思っている。がまた、全力疾走
?で努力して懸命に生きレバ、天と神
様に見放されることもないのではないかとまた自分勝手に解釈した。脚が悪くとも駆けっこして、全力疾走?出来る?
と、脚は動きが悪くとも、頭ではボルト並みの全力疾走が出来るのであった。
フンドシ
ついにこのブログ記事も落ちに堕ちて
私のフンドシにまで辿りついてしまった。第一回目のリハビリと入浴を記念してデイケアに私はフンドシを締めて行った。お風呂には女子職員が付いてくれて、私のフンドシを見た人が「太田さん、カッコイイ」、私一人で見るのは勿体無いと言って、他にも数名の女子職員を呼んで来て、フンドシのファッションショーになってしまった。実は、この
フンドシは二年前に指導員からプレゼントされたものである。そのフンドシには
富士山の絵柄が描いてある。私は気を
良くして、日本男子ここにあり!
と叫んでしまった。フンドシと言えば、
タヒチでも、パレオという布をフンドシのサイズに切ってもらい、六尺フンドシを締めてビーチを闊歩していたが、
フランス人男子は恥ずかしそうに顔をそらしていたけども、フランス人女性は
なんともないらしい。何事も無かったように素通りして行った。ソウルフードというのがあるが、フンドシは日本の
ソウル下着というか世界に誇る立派な
文化であると私は思う。コレを機に
日本の伝統文化フンドシを広めたいと
思っている。リハビリの先生は、フンドシを見たこともないという。
だから、日本の男子が弱くなってしまったか?と考えさせられる一日ではあった。
伝統文化を守る
私は今私が教授している尤氏長寿養生功を受け継いだ者として、その伝統文化を守っている。さまざまな理由で、継承が消えかけた伝統文化をやっとの思いで、長年の修行の末、受け継いだこの伝統
文化を全力で守る責任と義務が私には
ある。日本に移植しようとした時に私の
判断ミスで、ツノとキバを隠し持って、
カネとモデルの女にしか興味の無い人間の手に入るところで、その伝統文化を
取り返した私は私が思う以上に
尤氏長寿養生功を守らねばならない。
世界にたった一つしかない、類いまれな
この氣功はこの先、人類に残されるべき
東洋の伝統文化なのである。
習得するにとても難しく、長い年月を
必要とする。チャラチャラしたオトコ
には無縁のものである。訓練することを嫌がり、高級車と高級靴とモデルの女に執着心を持つオトコには、ウソをつくオトコには、勿体無い、似合わない、ものである。そこで一つみなさんにお願いをしたい。このハレンチなオトコの主宰する尤氏意拳にはカネを
渡さないでいただきたい。そして一切
関わらないでいただきたい。そして、我々
太田氣功道場の尤氏長寿養生功には
大いなる支援をしていただきたい。
この素晴らしい東洋の至宝というべき
伝統文化のこの氣功を一緒に守り育てて
いただきたい。将来において、日本のみならず、東洋の神秘的な伝統文化となって、アジアの、世界の国々に大いなる貢献をする
存在となることを私は信じて
疑わない。
その場に花を咲かす
私が帰国して三年が経ち、妻の三回忌を迎える。ボロボロの身体で運営して来た尤氏長寿養生功は少しづつではあるが、進展を見せて、千葉に支部を開設した。
また、海外との交流もあるようになった。私のアメリカでの半生を振り返る
時が増えている。両親を若くして亡くした私が日本を離れたことは私の中では
正当な理由があったと思っていたけども、故郷を離れて何か成し遂げようとしたことは本当に良かったのであろうかと思うようになった。私の叔父は九十九で他界したのであるが、地元を離れたことは一度もない。仙台の街を自転車で
用事や買い物をこなし、最晩年には
娘婿が勤めた森林局で集めた伐採された、不要の檜の木材で建てた家に住んでいた。
別に東京アメリカに行かなくても、
生活は出来る。田舎の仙台に根を張り、
長い年月をそこで過ごして平和で安心の
人生を送る。若い時は日本軍の写真班で中国に送られて日本に戻り、神戸に少しの間住んだと言っていた。仙台より都会でどうでした?良かったですか?と聞いたが、つまらないねと言った。私は仙台の豊かな自然が気に入っている。山と海がすぐそばだ。四季折々の食べ物は
美味しく、源泉掛け流しの温泉はたくさんあって、近くにある。極楽だ。楽園である。今になって気づくのがなぜこんな素晴らしい土地を捨て、離れてしまったのだろうと思う。若い時は経験が少なく、愚かで激情的だ。理性が足りない。感情に走り、外に目が向く。そうではあるが、日本に帰国するまでは、今の自分を形成する経験体験が必要だった。人生には何も無駄なことはない。東京に行かなければアメリカにも行けない、アメリカはサンフランシスコ近辺に住んでなければ尤氏長寿養生功には出会っていない。
そう考えると、全ての点が一つの線で結ばれて、今に至る。そう考えると、仙台を離れて良かったということになるが、
あちこち世界を見て故郷の良さが分かるということもある。外で花を咲かせて見たいと思うのも人生で、地元に残り、その場で花を咲かすのも立派な人生である。どちらが良いかではなく、一生懸命に生きたかどうかが問題だ。私なら
仙台でも一生懸命に生きて自分の人生を構築したと思うが、今咲いている花に満足して、これより先にもっと大きな
花を咲かすのである。最近、日本の若者が故郷を離れて東京を目指すが、故郷に残っても大きな花を咲かすこともできる。要は、自分の夢を実現する心を持ち続けて努力精進すること、そして少年のように純粋な心を一本の槍のように
突き出して夢実現の為の苦労を厭わぬことではないか?私の叔父は故郷に住みながら、私の愚かさをジッと見ていたに違いない。最後は孫玄孫まで自分の膝の上に乗せてタダで集めたヒノキで作った自分の家に住んでその場に大きな花を咲かせたのであった。大往生であった。
私は彼の孫にいつも言っていた。
おじいちゃんはまるで智慧のある
フクロウのような人であったと。
今は叔父の玄孫(やしゃご)に同じことを言わねばならない。