千葉に支部開設

太田氣功道場では、千葉に支部を開設

いたします。支部長を紹介します。

長尾博介は私の氣功道場の指導員で

十年来のベテラン氣功武術家であり、

鍼灸の国家資格を持つ鍼灸師でもあります。私には太田氣功道場を支えると同時に私個人をも支えてくれる大事な指導員の一人です。太田氣功道場を日本全国に

広める第一歩として、彼の地元千葉を

選びました。彼は元警視庁機動隊の

隊員でもあります。

逮捕術 A 級ライセンスを持つ長尾は

武術のエキスパートです。太腿は

私のピーク時を思わせるほどに太くなり、尤氏長寿養生功を教える資格は

充分にあることをこの私太田光信が保証いたします。今まで千葉在住の皆さんには

東京、埼玉が遠くに感じて、習いに行くのにためらいを覚えてられた方には

千葉においても尤氏長寿養生功が習えるようになったことは大変喜ばしいことであります。 将来、私が思い描いている

チベット密教との提携で、武術を通して、瞑想を媒体にして、平和と慈悲と愛をこの世に実現する手段に尤氏長寿養生功を選んでいただきたいと思います。

どうか千葉在住の武術愛好家および

瞑想に興味ある方、氣功関係者、そして医療従事者の皆さん あるいは一般の方々全ての人に千葉支部にお集まり

いただきたいと思います。

 

 

氣で世界の変革を

今まで、私が言って来たことは、

その実績 の例を挙げて来たことは、

一つの言葉で集約させることができる。

氣による革命である。人間のダラけた

生活を見直して、人間本来の精神と肉体を取り戻す。そのことにより、現実の

我々の住んでいる世界を変える。

革命である。昔、何の心も持たずに現実味のない、

上の空の革命を口にした者は多い。

他人から集めたカンパ、寄付金を持ち逃げし、

牧師の息子だったオトコは日本で就職出来ずに、後輩を死に至らしめた責任を

取らず、アメリカにおいて、牧師に

なる。何の為の革命であったか?

尤氏長寿養生功では、いっぺんに変えることは出来ずとも、確実に自分を変えることによって、自分の回りの世界を変えていく。

slow  but steady,  一人一人の精神と肉体を変革して一人一人の回りの世界に革命を起こす。このことを、まさに、この哲学を、

言いたかったと私は

思うのである。殺人の技から活人の技へ、

利己的で自己中心的な世界から平和な

愛の世界へ、  平常で日常的な毎日から

非日常的な毎日へ、退屈なつまらない人生から 面白く有意義で素晴らしい、

奇跡の人生へと、革命を起こすのである。

そんな革命を起こす手段、方法が尤氏長寿養生功のテクニックと瞑想なのである。

今、日本にて尤氏長寿養生功は太田氣功道場でその伝統の修練は続けられている。その伝統の灯火は灯し続けられている。そしてその火勢は一日ごとに増している。まず、日本の我々の回りに革命を、

変革を引き起こそう!

そして、氣 revolution を世界へ!

Stand  up  and  stick together Everybody!

筋力トレーニング

いよいよデイケアセンターにて脚の

リハビリがスタートした。万全の準備をしてこの日を迎えたのであった。

以前お世話になった所であるから、

勝手知った施設で、始めからドンドン

メニューをこなしていく。以前お世話になったリハビリの先生は、私の回復振りに驚いていた。チョットした距離を

歩き、時間を測る。前のタイムが残っており、前よりも四秒から五秒も早い。 

ウエートの負荷をかけた筋力トレーニングを行う。低負荷高頻度のリハビリである。低負荷では物足りない。先生の目を盗んでウエートを上げて行う。が、

三年もの間使っていない筋肉は弱って

いる。半日トレーニングして帰宅するが、送迎バスの来る前に眠けがさして

少しウトウトしてしまう。あれほどあった筋肉はすっかり落ちてしまった。

しかし、一度作り上げた筋肉の回復を

早く戻す自信はある。家でもリハビリしている。左脚で階段を登るだけの筋力を作らねばならない。スグには無理であるが、私の意思があれば、時間の問題であろう。今日すでに手すりを使って一段ではあるが、登ることは出来た。後は回数をかけることである。他の入所している

老人たちはトレーニングには消極的だ。

治りたく無いらしい。身体障害者手帳の等級を下げたくない。そのままでずーっといたい。何でも他人にしてもらいたいらしい。私はごめんである。早く治して、

身体障害者手帳を返納したい。早く杖無しで歩きたい。以前は良くむくんでいた脚は浮腫みが取れて脚は細っそりしている。膝関節を深く折り曲げることが

出来るようになった。驚異的、奇跡的な

回復を見せている。嬉しい限りだ。

あれほど徹底して習った尤氏長寿養生功は、私の膝の大怪我をそれ以上悪くすること無く、今回復の兆しを見せて、私の

意気を上げているのである。

何遍も言うが、これは奇跡である。

そしてまた何遍も言うが、一生懸命に努力した者には、ご褒美が頂けるようになっている。次のご褒美に向けて、努力精進するしかない。休むヒマも無く、

努力精進するのである。休んではいけない。脚の次は左の腕が残っている。

左腕にはどんな奇跡、どんなご褒美が待っているのであろうか?

今久しぶりに、十年振りに両脚に強い筋肉痛を

感じている。心地良い。

私が大阪堺に道場を開いていた時に

こんなとんでもない道場生がいた。

呼吸法の人間で、飛ばし方を俺に教えてくれ。何故ですか?と聞くと、呼吸法の人間に俺をバカにする奴がいて、そいつを吹っ飛ばしてやりたいからです。復讐してやりたい。と本当にバカなことを口にする。協力は出来ない、そんなことに

心を向ける時間があるならもっと修練するようにと言って、その場を離れた。

目的と手段を間違っている。本来、氣を訓練する者は健康増進を目的にして、

跳んだり跳ねたりすることは手段であるはずなのに、飛ばす飛ばされることを

競争のように捉えてあっちが強い、こっちが弱い、と比較する。どんな心で今迄

訓練して来たのだろうと、心の修行は一切していない団体であると大変情け無く

思ったのである。いつも言うあの尤氏

意拳の神田真澄こと神田吉隆こと姜吉隆も私に

テレビに出るから飛ばし方を教えてくれと言って、結局はそれをカネ儲けの

手段に使ったのであった。他にも同様の者がいた。私を利用しようとする者は多い。それこそ心無い者がおのれの

利己的な心を満足させる為に尤氏長寿養生功のワザを出汁にする。そんな輩は

たちまち、地獄行きである。心が地獄であるからだ。この尤氏長寿養生功

三十年ほど訓練して気づいたのは、

筋力を養成して技を完成することの意味は心の完成を目指していることであると思うようになった。心の未熟な者、心が塞がっている者、心の捻じ曲がった者、

さまざまな人間が出入りして、今、やっと私を頂点にして指導員一般道場生の

序列が出来上がり、訓練もシステム化

されて形が整って来ている。心の中は

見えない。宇宙の見えないエネルギーが

大きく影響して宇宙を形作る。科学は

以前目に見えるものと計測可能な物を

対象にしていたが、現在の科学は

目に見えないエネルギーを対象にして

最先端の研究がされているのである。

氣功も何千年も前から目に見えないエネルギー、氣を探究して今に至っている。

目に見えないエネルギーはとてつもない

エネルギー、可能性を持つから、

見えない心を調御して仮にも復讐するとかカネ儲けとか自己の利己心を満足させるとかバカな方向に心を向けるべきで無いことは明白である。瞑想すると心は

純粋で素直になる。心、心、全て心が

大事である。心のエネルギーが形あるものを形作っていく。神道大本教では

このことを霊主体従と言って、精神と心

が先に、体と物はその後に来るものとしている。例えば、家を建てる前に頭の中に

思い描く家の形があって、その後にものとしての家が建つとしている。

全て心が先に来る。心の無い者には

形も無い。心の無い者にはカネも集まらない。集まるものはゴミのようなものしか集まらない。心がゴミだからだ。

全て心である。

私はギャンブラー

スペインのある島は避暑地でヨーロッパの国々から太陽の光を浴びに人びとは集まる。

講習会の後に、私はこの島を訪れた。キャンピングカーで行ったスキー場のホテルでカードの

ギャンブルで勝ち方を覚えた私は、ここでもスペインの国が経営するギャンブル場に出かけて、運を試した。ツキについて、三十分程で七百ドルも勝って、レストランに行き、一番高いカニ料理とウナギの稚魚の料理を食べた。ウナギ料理はなんということもない。日本の居酒屋の方が美味しい。稚魚をオリーブ油で炒めてガーリック味にしただけであった。何てことはない。ホテルに戻り、現地拳士から紹介された知り合いの従業員にことの次第を説明して

三十分で勝った金額を教えたら、持ってたタオルを床に叩きつけて、俺の一カ月の給料をお前は三十分で稼ぎやがって!

と悔しがったので、悪いなと思い、私は

このいっときの友人にビールを何杯も

奢ってやった。日本のことわざに

悪銭身に付かずと言うのがあるが、

その通りだと思った。しかし、面白い

経験をさせてもらった。

自由と規律

急に高校生の時にクラスで読まされた「自由と規律」という本が頭に浮かんで、これを書いている。イギリスの

パブリックスクールの寄宿舎の生活の話である。この本を読んで始めは、良く

理解出来なかった。若い時には、自由が規律より魅力的に聞こえて、規律を

排除する。日本では親兄姉のしがらみと社会的規制に縛られて型にはめられている感じがして苦しかった。アメリカではしがらみがない分、自由を満喫した。

アメリカでは、規律がないようでいて、

実は法律がいっぱいあって、ウッカリ

すると日本よりも厳しく規制されることもある。日本の若者は、私が直に知ったのは、あの神田兄弟であった。

アメリカの若者は成人前には家から出て

自立する。しかしあの日本の若者でない、バカ者達は母親に依存して、私に

依存して、いとこに依存した。

アメリカではそんな甘えは許されない。

彼らには規律は無く、自由だけ存在した。

と言うよりも甘えだけ存在した。

なぜ母親がそんなことを許したのか

私には分からない。たぶん、子どもの頃に両親が離婚したことを母親に責任を

押し付けたのであろう。一番弱く、でも、

愛情を注ぐ人への甘えである。他人への

批判は厳しい。そして自分には甘い。

勉強は嫌いで、上昇志向は、他人の

何倍もある。ウソをついても自分の

欲しいモノは手に入れる。母親は

六十過ぎて一人働き、大学を卒業した

上の息子を家に住まわせる。アメリカでは決して、

起きる現象ではない。私は東京の大学に入って、家には戻らず、自立した。

もちろん、病気の母親に頼る気持ちなど毛頭ない。規律と制約なくして自由は

無い、と気づいたのは、アメリカに行ってからであった。子どもの頃に寄宿舎に

子弟を預けるイギリスの中流上流階級は

代々、そのようにして、ノブレスオブリージュの心を育て上げるのである。

アメリカにはそんな伝統は無い。しかし

日本にはそんな伝統も無いのに、ノブレスオブリージュを実践出来る者が

たくさんいることを私は経験上知っている。考えて見て、得た結論は、日本人には

武士道が存在していた。その心は今でも

日本人に脈脈と流れているのである。

カネやモノが不足しても心の満足、高貴な心、を大事にする。武術を現代に

修行する理由はここにあるのでは

なかろうか?武術を通してカネ儲け、武術で、瞑想で、モデルのオンナを探す

日本の若者ならぬ、馬鹿者はノブレスオブリージュなどが、あるはずもない。

今でも規律は無く、自由勝手気ままに

生きているだろう。

バスク地方

八十年代に訪れたサンセバスチャンという街はあの赤いベレー帽で有名なバスク地方の中心地である。フランスとの国境近くにあるのでフランスの影響を受けている。そのせいか、ここの男たちは全員

料理が上手い。サンフランシスコにも

バスク料理専門店があって、妻と良く

出かけたものだった。美味しかった。

妻は美食家で、一流の味でないと満足

出来ない。私には縁の無い誕生日や

クリスマスには大抵はこういう一流どころでないといけない。しかし私は楽しんだ。私の知らなかった世界だった。

本場の料理を経験した私は英語は

アメリカ人と同じように話せるし、スペイン語も片言ならば注文も出来る。

話を戻す。このサンセバスチャンには

少林寺拳法支部があった。

講習会で私の持つ全ての技術ワザを

授けて講習会が終わると、待ちに待った

宴会にバスク料理が並ぶ。食前酒に面白いお酒が出た。りんご酒である。お酒の

度数が極端に低くて飲みやすい。と言うのはウソで、特殊な容器に入っているので

飲みにくい。病気になった時に使う

水差しの大きいモノで口よりずっと

高い位置からジャーっと口に注ぐので、

的が外れると大変なことになる。

りんご酒の洗礼を受けてから、肉、

魚、野菜、のバスク料理のオンパレード

である。全てどれを食べても美味しかった。バスク人は誇り高く、頑固一徹だが

優しく、私とは仲良くしてくれた。

同じ趣味を持つ者には国境が無い。

フランスには少林寺拳法を牛耳る日本人がいて、試合形式の乱取りを良くやって、良く何もせずにただ立っているだけの現地の拳士の顔にいつも、蹴りを入れていた。

強さだけを誇示する者がいて、現地の

人間は彼を嫌った。私に良くそのことを訴えて来たけども、私にはどうにも出来ない。一度本部で会ったことがある。

確かに嫌な無礼な奴ではあった。こいつはフランス語は

ほとんど出来ない。日本人指導者の

ヨーロッパ域での権益のみ訴えて、本部の

承諾を得て、そのようになった。

食事中に持っていたナイフを木の壁に

投げつけて、刺さったナイフを見た

現地の拳士が怖がるのを見て満足していたことも聞いた。時代錯誤の武術家<を/p>

気取っていた。

こんな男の感性で作る料理はバスク料理

より美味しいはずはない。

こんな、あんな、反面教師になる例を

私は忘れない。今の尤氏長寿養生功

全て反対に生かして、運営に氣を配っている。日本の男の定義を履き違えて、

自分の権益を守るだけの忌まわしい

行動はスペイン人にはどのように映った

のであろうか?遠い昔のことである。

私が聞くところでは、少林寺拳法の団体が隆盛を誇っているとは聞いてない。

逆に地方支部の離反が相次いでいると言う。アホウな日本人指導者がいれば、

本部が結託してそんな指導者の意見を

取り入れれば、ポシャる一方になって

当然なことである。今の時代は、

江戸や明治に流行った武術の、オトコ、オトコのメンツやチカラの誇示を見せる

時では無い。もっと頭を使いなさい!

尤氏意拳も然りである。