Traitement ManipulateurJaponais

 日本語の、太田式氣功整体をフランス語に直すと、こんな言い方になるらしい。さしづめ、日本の整体治療と言うところであろうか?この太田式氣功整体治療を尤氏長寿養生功を弘める手段として痛みや病氣に苦しむ人々を助けながら、日本全国、タヒチに本拠地を置いてフランス、スイス、ドイツなどヨーロッパに展開する。尤氏長寿養生功が、中国武術の精華とも言える意拳から派生して私によって、日本に移植しようとした際にはカネと売名だけの為に作ったニセの道場がいづれは日本の何処かで朽ち果てることは誰の目にも明らかになっているのに反して、我々太田氣功道場がホンモノの正統尤氏長寿養生功を受け継いで正しいワザと瞑想を教授しているので日本と世界的にあと百年もずっと生きていくことも誰の目にも見えている。その違いは、正統であるか否か?正しい瞑想を伝えているか否か?武術とするか養生功とするか?のいづれを選ぶか、にかかっているだろう。口先だけの実力では長い年月を生き抜くことは出来ない。総師範、総大将、和の氣の武術、殺陣、などの小賢しい、誰もが認めもしない自分だけが言っていることを誰が信じるのであろうか?誤った、悪質な考え方で尤氏長寿養生功の質を貶めた悪因悪果の法則により、我欲で作った道場が生き長らえることなど出来るはずがない。天の罰は必ず与えられる。

人体の驚異遺伝子は変えられる

医科学的には、遺伝子は生きているあいだには変えることが出来ない、というのが通説であったが、実はそうではないということが医学的に分かって来た。遺伝子のDNAの中には病氣に対する抑制スイッチがあることが解明されて、その抑制スイッチがオフになると、例えばガン細胞が増殖し、心筋梗塞になることが分かった。抑制スイッチをオンにする薬も発明されたが、運動と食事によって遺伝子を変えることができることも医学的に分かっている。運動と食事によって、男性の精子の中のDNAを太らないDNAに変えられて、子孫に伝えることができるのだと言う。人間の遺伝子の中の、ゴミと思われていた98パーセントのDNAに突然変異が出来て子孫に伝わると酷な極地で生きる人間に特殊な身体能力が備わって極地で生き延びることができるのだと言う。例えば、インドネシアのある部族は海中で、素潜りで十分間ものあいだ働くことができるのだと言う。祖先のDNAが突然変異して子孫に伝わり脾臓が大きくなってより多くの赤血球が出来るようになってこんな能力が身に備わってしまったのであると言うのだ。私にも特殊な能力が氣功の訓練練習の後に、備わったと思われてならない。病氣になっても、ケガをしても回復が異常に早い。骨折して失くなった手首の二本の骨が骨折後一ヶ月したら、トカゲの尻尾のように生えて来て元通りの骨が作られていた。病院にも医者にも行かなかった。妻の介護と看病、仕事と家事も片手でこなしていた。私には実験してみたいことがあって、この歳になって、この遺伝子を持つ私がもう一度結婚して子どもを持ったら、どんな人間になるのだろうかと、タヒチアンの嫁さんを募集中である。子どもをオリンピックの選手にする夢がある。ぜひとも、実験して証明してみたい。

タヒチ医療事情

タヒチには島が百もある。遠隔の島は首都Papeeteから飛行機でも何時間もかかるほど離れており、無医村の島もあるようだ。タヒチアンはフランスの医療をあまり信用していない。病院の手術を失敗することが多くて術後の後遺症がある患者を何人も診察したことがある。民間医療、代替医療を多くのタヒチアンが望んでいる。それで鍼灸や整体に助けを求める人は多い。タヒチにはハワイのロミロミに似たマッサージがある。私も土地の伝統的マッサージの先生に揉んでもらったことがある。友人からはお金は受け取らない。フランス本国からは腕の良い医師は来ないようだが、給料が良く憧れのタヒチに住みたくて、その目的で来る医師もいる。スポーツが盛んで、ケガをするタヒチアンはどの島にもたくさんいるので、鍼灸や整体で、医者に行く前に解決する。こんな実状だから、私の耳の置鍼と氣功整体は最適なタヒチの事情に即した治療となるだろうと思う。私の女性道場生が医師でフランスの医療法に反しないようにコラボして置鍼をすることになっている。遠隔の島にも太田式氣功整体ができる整体師を養成して百ある島に一人ずつ配置して尤氏長寿養生功も教えられるようになれば、タヒチの医療事情に貢献して医療費削減にもなるのではないか?とあれこれ考えをめぐらせている。タヒチの大統領にとても近いタヒチアンが私の知り合いなので、いづれは大統領からの治療依頼が来るかも知れない。

水鳥

今日も幹部道場生に言ったのであるが、我々は水鳥のようにあらねばならない、と。何故ならば、水面上に浮かぶ水鳥はのどかにスイスイと楽そうに泳いでいるように見えるのだが、水面下の足は指と指の間にある水かきを使って懸命に水を漕いで前に進んでいる。我々の目には水面下の足の動きは見えない。懸命に泳いでいることを知りはしない。我々の訓練も同じように、人に知られず、練習訓練も水鳥たちの足の動きのように懸命に行わねばならない。練習訓練の時には百二十パーセント、百五十パーセント、のチカラでぶっ倒れるほどに精魂傾けて行ない、実際にワザを使う時には、その半分くらいのチカラ、六、七割くらいのチカラで人を投げ飛ばしコントロールする。それが私が師母からいただいた教えであった。私が簡単に、軽いチカラで二メートルもある大男を投げ飛ばしている姿を見て、私がとてもリラックスしてそのようにしていることを、簡単にやっているとしか思えない。どれだけの訓練練習をしていたのか知る者はいないだろう。触らずに大きな人間を氣だけのチカラで投げてコントロールするにはどれほどの練習が必要になるのか?震脚を何回?瞑想を何時間?師母が七十年間した訓練練習を私は三十年しかしていない。師匠の訓練練習時間の半分もしていない私の伎倆がどれほどのものであるか、そして師母のチカラがどれだけのものであるかが、目がついている者なら、理解できるであろう。私が水鳥を見る時気楽にのんびりとゆったりと泳いでいる、と思うことは私にはとても出来ない。奇跡的な簡単にサッと出来ているワザを見る時には、その裏ではどれほどの努力をしているのであるか、見えないところでの準備と訓練練習を想像して自分への戒めとするべきである。

結果で証明y

口先だけで、自分たちの経歴、履歴を誤魔化す者たちが私の道場からコソコソ抜け出て、道場を開いてニセモノになったのだが、1990年ごろに私がテレビに紹介されると、「氣」について何も分からない者たちが口やかましく  ヤラセだとか、催眠だとか、訳の分からない屁理屈を並べ立てていたのであるが、私は結果で答えて証明して来たのである。その私の挑戦はまだ続いている。氣功が下火になった今では、公の場で見せるチャンスは少ないのであるが、身体障害者になっても私のチカラは以前にも増して強くなってその証明を続けている。現役のアメフットの巨人選手を投げ飛ばしコントロールしたのは七年前の2012年のことだった。今の私はできることならば、現役の相撲力士と氣の交流をしてみたいと思っている。不思議なことに、身体障害者となった今の方が私のチカラは増しているのだ。中医の仕事をリタイアして、瞑想する時間が増えたせいだろう。これからのタヒチに於いて新たにタヒチアンの巨人を投げる機会は出て来る。そしてフランス、ヨーロッパへとますます大きい巨人との対決が待っている。不安は全くない。楽しみと期待が私の人生に彩りを添えてくれる。私の人生はますます、嬉しく楽しいものになって来ている。タヒチでも、ヨーロッパでも、私はまた結果で証明して見せる。

個性を大事に

日本人は真面目で几帳面な性格だが、そのせいか自分たちの規格に合わないモノを排除するようである。マルのものを四角に収めることは出来ない。マルいものは転がるようになっており、転がるところに長所があって四角のものは四角の特性があるだろう。人間の個性も、出る杭は打たれる、のことわざ通りに人間の個性を叩いて平均化、金太郎飴のように平均化しようとする。私が四十五年前に日本を離れた時にも、何処を切っても同じようにされることを嫌って渡米したのであった。今回のタヒチ移住も、四年前に帰国して以来出る杭は打たれる、ことを忘れていて日本を窮屈に感じ始めていたからであるかも知れない。その窮屈さを感じて、また自由を求めて私の個性を育み伸ばす場所にタヒチを選んだ。私は私の個性、特徴をタヒチで伸ばしてその個性を世界に問う。世界の人々がどのように感じるか問いたい。人生の生き方には正解は無い。教育をEducation, と習った私は自分の個性をEduce、伸ばすことと理解した。我々の個性は叩かれるモノではなく、育てて伸ばすモノである。

タヒチ移住再燃

 さまざまな事情により、タヒチ移住は断念せざるを得なかったのであるが、私が太田式氣功整体を創立したことによりタヒチ移住が可能となった。幾度もタヒチか和歌山龍神村に行く行かない、とみんなの氣をヤキモキさせた訳であるが、道場の中の事情もネコの目のように目まぐるしく変わってタヒチ移住が再燃したことを伝えたい。ヨーロッパに進出する為には、まずタヒチ進出を成功させねばならない。タヒチ永住が可能になると自動的にヨーロッパでの活動ができることになる。ヨーロッパにおける経済的活動はそう簡単には行かない。スイス、ドイツへの進出ももうすぐである。タヒチとは今でも強い繋がりで結ばれている。毎日のようにビデオ電話がある。太田式氣功整体が国指定の難病にも効果があることを受けて、タヒチにも難病で苦しむ島民がたくさんいるのでこれらの患者を少しでも楽に出来ればこの上の幸せはない。決意を新たにしているのである。私は、日本を棄てる訳ではない。これまでと同様に講習会は開催される。ただ、これまでのように毎月ということにはならないだろう。が、最低年に一度は日本に戻り、講習会を開く予定である。私が置かれている立場をご理解いただき、移住前の講習会に多くの人の参加を促したい。あと一年ある。