美学

美学にはさまざまな解釈があるだろうが、一番大事な美学とは何か?私には生き方、生き様が一番大事なことであると思う。卑しい生き方はといえば、嘘をついて生きることである。美しい生き方とは嘘をつかずに真面目に誠実に生きることである。とすれば、尤氏意拳の宗家創始総師範神田真澄ことカネだ吉隆は卑しい、みそぼらしい生き方をしているとしか思えない。嘘をついて道場生からカネをむしり取って、今は鳥取の田舎に逃げて公開質問に答えない。道場生にあれだけの迷惑行為をして何の謝罪も無い。無いものばかりだ。あるものは見栄とハッタリに乗っ取りと贅沢しかない。美学はどこにあるか?己れの外見だけ気にして、巻き上げたカネでクルマとピカピカのイタリア製の靴で自分を飾っていたか?生き方生き様は醜悪だ。美学などはない。もうここまで来たら、引き戻すことは出来ない。突っ走って、嘘を突き通すしかない。私が何を言おうと書こうと無視するしかない。反論すれば、さらなる真実を突きつけられる。宗家創始総師範の大先生を演じ切るしか無い。いくら自分が描いた絵空事の神の新武術を演じても、勁空勁を演じるか?ジャンプをどう誤魔化すか?次の課題は壁が高すぎる。いくら言葉で修飾しても外見は誤魔化せても、中身は誤魔化せない。己れの生き方生き様は誤魔化せない。その醜悪な人生はもうすぐ崩壊する。昔のダチを集めて幼稚園児の遊びの武術のママゴトをしても、他の者は誤魔化せても、二十五年まじかに見て来た私の目は誤魔化せない。もし美学などというものがあったならば、なぜ親戚に見放されるのか?何故自分が教えた元道場生に見放されるのか?ナゼ私から破門などされるのか?誰でも普通の頭があれば、理解出来ることである。人間性が問題視されている。美学がある者が嘘をつくであろうか?美学のある者がカネをかすめ取るであろうか?美学のある者が人の名前で九百万円の大借金をするだろうか?このまま何も言わずに答えずにうやむやにするのであろうか?美学のある人生ではある。醜い醜悪な人生を歩んでいる。美味い酒メシはカネだ吉隆の持病を悪くする。本人はいつも私には美学の人生とかオトコの美学はとか盛んに言っていたが、とてもカネだ吉隆の人生は美学の人生ではないように思われる。私に言っていた美学の人生やオトコの美学もウソであったか?