時効のカラリパイト調査

あれは1981年のことであった。インド

にも武術があって、イギリスの国営テレビ局BBC の紹介でインド武術カラリパイトの調査でインドへ渡った時の話である。35年も経って、関係者がまだ生きているか死んでいるのかもわからない。時効となった話だ。カラリパイトは中国武術と同じようにインド人の伝統的な武術として特異な地位を確立している。日本でビタミン剤のコマーシャルに映像が使われる前に南インドで調査を行っていたのである。マドラスの空港に到着後、タクシーを拾ったら、後ろの客席の床が

直径50センチメートルの大きな穴が開いている。道路の土の地面が見えている。そこで私は三人の上司、先輩を

おもむろに慇懃に後ろの客席の特等席に

案内して、自分は助手席に乗り込んで タクシーは出発した。

ある村に着いて、村の中心部で、、プスンプスンと小さな車は悲鳴をあげて

エンストしてしまった。村の全員が

集まって、タクシーの回りを囲む。日本人を見るのは生まれて初めてらしく、

何十人何百人と真っ黒な肌のインド人の

村人が取り囲んでいる。まさに黒山の人だかりである。英語を話す人間は

私だけで、黒い肌の黒人の街に住んだことのある私には余裕の事態であったが、三人の先輩上司は明らかに恐怖心が顔に出ていた。村人に後ろを押されて、やっと

頼りないタクシーは村を出発して、ついに、ホテルに到着して、二メートル近いターバンを巻いたシーク派のインド人に迎えられてホテルに入る、タクシーの運転手は久しぶりの上客の我々を逃がすまいと頑張りすぎて、手から血を流していた。巨人のインド人は小人の運転手を追い払うように、汚ないクルマと運転手を排除する。初めてのインドは、私には興味深々であったが、三人は余りの不潔さに表に出ることもない。カッコだけ仏教徒もこんな状況の中ではかたなしだ。こんな人間性なので、私に特等席に案内されるハメになるのだ。この町にカラリパイトの先生と道場は存在していた。翌日、道場で師匠と弟子たちに会った。師匠は、トラの革を身にまとい、明らかに小人であった。

弟子たちは全員若く、南インド人はベジタリアンなので太った者はいない。みんなスラッとしてほっそりしている。道場でワザを見せてもらうと衝撃的な光景

であった。我々の背丈の倍の高さに吊るされたボールを三歩ほどの助走で蹴っている。と聞けば、あのビタミン剤の

コマーシャルを見た人はピーンと来るだろう。あ、見たことがある。と思い出すかもしれない。その他の対人、刀、ナイフ、棒術など、中国武術に負けないワザ

の豊富さで私には、とても興味深いものだった。この中の棒術はポルトガルに渡り、独自の発達を遂げたものもある。

インドの西欧支配の歴史もある。まだまだ話は続く。面白い裏話もある。シリーズで話を進めよう。