野心と野望

人間の欲は果てしない。

以前出会った時には虫も殺さぬようなフリをして、私の言う事なす事をジッと

観察して私の金で飲み食い出来るのを

奇貨として先生、先生と私を呼んで、

金魚のウンコよろしく私の回りにへばりついて、尤氏長寿養生功を無料で習い、

東京大塚の道場を開けて私の収入の全てを懐に入れて私がアメリカにいる間に

私に成りすまして道場を乗っ取って

しまう計画を立ててはいたが、おのれの贅沢とモデル上がりのオンナが好きで、

道場経営が立ちいかなくなると道場生に嘘をつき、道場への寄付と言う名目でカネを供出させて、私の名を使って資産家の年配女子道場生から返済意思のない大借金をして、返済せずにウヤムヤにして逃げて、私が使途不明の寄付金とこの借金の返済を迫るや鳥取に逃げて返済の時効を待つ神田真澄こと神田吉隆こと姜吉隆は、果てしもない野心を持って、自分の身には合わないとてつもない野望を遂げようとしたが、師母と私の

妻が相次いで亡くなり,私は日本に帰国したのであった。

浅はかで恥のない人間はこの尤氏長寿養生功を目の当たりにして、これは儲かると思い、その道統を乱して勝手に自分が受け継いだような印象を世間に思わせて一派を立てる破廉恥な  輩は少なくない。姜吉隆は師母から一切習ったことは無い。たった二回の面接を数年間の

過酷な修行と言ってすり替えて、嘘をついて、尤氏意拳を立ち上げている。そして

私から一ヶ月ほど教わった技を勁空勁を師母から受け継いだ秘伝秘技として、

私から見れば鼻くそのような技を奥義と言って、神の武術尤氏意拳と言っている。私からすればキチガイ、バカの所業としか思えない。幼稚園児が少しのチカラを何百倍にも膨らましてカッコつけて

いきがっているだけにしか見えない。

それこそ鼻くそのようなおのれの人格を晒して関わった者達から総スカンを食って親戚にもあまりな人格のヒドさと、嘘

つきと言われて勘当同然の扱いで、いとこからも見放されている。もうこうなったら、最後の最後まで、嘘を突き通すしかない。今更汗水垂らして真面目に働くのは面倒だ。嘘の武術でも宗家創始総師範と呼ばれたい。楽に生活費を稼ぎたい。世間に認めてもらいたい。騙し易い自分のダチやちょろい日本人で、自分を先生と持ち上げる者達でだけでも良い。嘘の神通力が使える者達だけでもセンセ、センセと呼んでもらえればそれで良い。

いい気になっている。

なんと哀れなオトコであろうか?

なんという武術家であろうか?

なんという人生であろうか?

身の丈に合わない野心と野望を遂げようとしたオトコは、バカで浅はかなオトコは、おのれの計画の当てが外れて、

顔は歪み人生も歪んで、神からの神罰

待つだけの身となっている。哀れな最期を待つだけの身である。誰も助けられない。自分一人で自分の犯した罪を贖うしかない。今まで誠実に自分の置かれた状況に対処していれば、こんなところまで追い込まれることは無かったろう。自分の欲を制しきれなかったおのれの責任である。蒔いたタネは自分が刈り取らねばならない。私はこのオトコが私をジッと見ていたように、同じく、この破廉恥なオトコの最期をジッと見届けるつもりでいる。可哀想とも思わない。野心野望の心を持ってこの類いまれな尤氏長寿養生功に近づく者達の最期を見届けるのだ。

因果応報である。