人生の尊厳
これまで、私が言って来たことは
人生をどのように考えてどのように
切り開いて行くかという人生論で
あった。普通一般に命の尊厳という
言葉があるが、私は人生の尊厳という
言葉を普及させたい。この日本の社会には何かの権威を傘に着て、弱い立場にある後輩や下級生を利用してとことん
奉仕させて、ひどい場合、カネを供出させるパワハラをするとんでもない日本人が存在する。私はこのような者を許せない。他人の貴重な人生の中の時間と
財産を奪う悪質な行為である。そんな
関係はサッサと切るべきである。人の
人生を何と考えているのか?こんな
行為をする人間は自分がされる場合は
敏感に反応して、自分だけは不利益を被らないように姑息に行動して、パッと身をかわして逃げてしまうものだ。
実に変わり身が早く、自己の保身は
見事にやってみせる。カネを奪うように
掠め取って、カネを取られた家族に迷惑をかけても、本人はどこ吹く風である。
こんなことをする奴は人生の尊厳などは考えたこともなく、自分のカラッポの頭にはそんな概念もあるはずはない。
頭にあるものは今日の飯と酒である。
何とも腹の立つ奴ではないか?
他人の人生の尊厳を認められない者は
命の尊厳をも認めることはない。
私がアメリカで倒れた時も、私の命が
どうなろうと、私の人生が崩壊しようが、どうでもいい。自分の保身しか、
頭には無かったのである。カネさえ
手元にあれば、贅沢さえできれば、
今日のメシ、酒さえあれば、人生
バンザイだ。
しかし、以前に述べたように陰陽の
エネルギーは移り変わる。私が日本に
戻ったことで、潮目は変わった。
姜吉隆の嘘と虚偽は暴かれて、ニセモノは駆逐されて、ホンモノは頭角を現して、ホンモノが残りニセモノは消える。
他人の人生の尊厳をリスペクト出来ない者は他人からリスペクトされない。
目に見えるもの、即物的なものにしか
興味がない者が武術や氣功を訓練する。
目に見えないもの、氣を訓練する理由は、目的は、
カネを手に入れることだけである。もし、神の武術、瞑想と言うなら、なぜに教えた生徒に氣の触れる者や
精神と肉体がおかしくなる女子生徒が
出てくるのであろう?
人生の中の貴重な時間を無駄にした
罪は何かの形で償うことになる。
人生は命である。命を乱雑に扱う者は
自分の人生が乱雑に扱われる。
因果応報である。陰は陽に変わり、
エネルギーの強いチカラは弱いチカラに
とって変わり、時代は変遷して行く。
嘘の命と人生は誠の命と人生が駆逐する。
いつまでも嘘と虚偽は続かない。
生徒がすでに離反し始めている。
内部崩壊だ。次はアゴで良いように
使っている指導員の番である。
自分の団体を掌握出来ずにメシや酒を
食らっている場合ではない。
社会の常識とルールを守れない者は
この社会から追い出される。
自分の師匠をないがしろにする者は
生徒にないがしろにされる。親戚のおじさん、おばさんをバカにする奴は
他人にバカにされる。全て因果応報である。
命と人生の尊厳を認めることが重要だ。