執着

私が関わったいわゆる武術家、武道家

先生と言われた人、者は、執着を持っている先生は多かった。どの世界もそうであるが、カネ、オンナ、クルマ、贅沢、

名誉心、功名心などであった。武術武道には以上の執着は似合わない。特に尤氏長寿養生功は本格的な瞑想が訓練の基礎となっている。まるで商売人かサラリーマンのようにカネを欲しがり、オンナを欲しがり、高いクルマを乗り回してとなりにオンナを乗せていい気になって、貴族か何かのように贅沢したがった。しかし修練修行はしたがらない。

執着を離れることは難しいようである。

そんな時間があるならば、訓練瞑想に精を出せば良いが、本来武術に向き合う心を持ち合わせていないので、怠けて

そんな無駄なことはしたくない。でもカネもオンナも欲しい。こんな武術家が

宗家創始総師範と自分を呼んで神の武術を立ち上げた。そんなに執着して贅沢したければ、職業を変えろと言ったが、

それもしたくないようだ。カネが足りないから、

生徒からカネを借りる。返すあてがないので借りっぱなしになる。もう四十を過ぎて、すぐ五十に届く年齢になる。

一時期私の姓を名乗って、好き放題に

借金して寄付と言いつつ、カネを供出させて贅沢に使用して返済もない。

こんな人間が武術家瞑想家を名乗っている。

大した武術家武道家である。恥も外聞もない。よっぽどツラの皮が厚い。

身体は大きくても脳と心は小さく、器量は狭い。良くこんなに人を騙せるものだと

感心すらする。こんな歳になっても執着を離れられないならば、地獄にいくのは明らかなことだと大本教で習っているはずだが、後悔や悪びれた態度すらない。謝罪も無い。

日本の社会と大人をナメている。五十を過ぎたら、皺顔になって自慢のイケメンの顔も中年のオヤジ顔になり、オンナも以前のようには集まっては来ない。そんな時に瞑想をしても、 Too Late  である。テレビに出て有名になってカネを

手に入れてオンナをクルマに乗せてエエカッコしたかった、名前を売ってセレブになりたかった。人を騙して、、カネの不祥事を起こして返済もせずに逃げ回ったことへの、大勢の人に心痛と経済的ダメージを与えたことへの、

神罰は必ず下る。こんな人生を送って、

死んだ母親にどう言い訳をするのであろうか?

私にはどうすることも出来ない。

一時期は助けの手を差し伸べたこともあったが、今はどうしようもない。

ジッと最期を見るしかない。

哀れである。因果応報の理りを知らないようだ。