無心

NHKのドキュメンタリー番組で、

元オリンピック金メダリストが一度

判定負けを喫した後の再試合の準備を取材した番組があった。再試合一カ月前

くらいに調子が悪くなってスパーリングをしても、得意のブロックが出来ない。

いつもは出来る相手のパンチを自分に当たる前にブロック出来なくなっていた。

無心になれない。心が妙にざわつくのだと言う。

私にも同じような経験がある。2012年のことである。テレビ局からオファーがあって、ロサンゼルスまで来てアメフットの選手とボクサーを触らないで投げてから、東京に来て番組で収録して欲しいと言う。アメフットの選手もまた同じ氣で人を投げられるかという検証かとうんざりした気持ちで引き受けた。アメフットの選手と言えば、体重は私の倍か三倍の体格で

ボクサーと言えば、すぐ殴って来る。

殴られすぎて脳が損傷している者が多い。案の定、テレビ局からは走って来る

選手を触らないで投げてください、ボクサーを触らないで投げてください、と

無理難題を押し付けて来る。それで無くとも、触って投げるだけでも、至難の技である。ましてや当時私は六十を超えて、病氣の後で、体調は良くなかった。

私が反撥すると、なあに、障害保険と

生命保険をかけてあるから大丈夫です。

と言う。そして、妻からは武術的に

やっては絶対ダメよ!と、念をおされていた。

その両方からの鬼のような無理難題をどう解決しようかと悩んだ。危険なのと武術的に投げなければ、あんな牛のようなアメフットの選手など投げられない。その頃の私は

氣が異常に重くなっていた。このことを

今回の番組で使えないかと模索して、

ヤットの思いで最重量の選手を立てなくしたのであった。武術的ではない、平和

的に見えて、氣で完全にコントロール出来ている。執着心を持たずに虚心坦懐に

事に取り組むとこのように道は開ける。

金メダリストボクサーも今ある地位を失う執着心を離れて今苦しんでいる自分を冷静に分析して無心になり、ついに

チャンピオンベルトを奪還したのであった。無心は、執着心を離れた心は、とてつもなく強い自分を作るのである。

だからこそ、昔の武術家や禅僧も無心を

獲得することを目指したのであった。