希望

日本の建築家に内臓のほとんど心臓と腸を残して脾臓膵臓胆嚢などを手術で取って、七十を超えて

すごく元気に仕事をバリバリこなす人がいる。希望があるから出来るのだと豪語する。人生に希望を失くすと死期を早める。生きる上のハリと希望は大事なものだ。私もひざを壊して左手首を大骨折して身体障害者になっているが、尤氏長寿養生功を教授して、歩くにヨロヨロで杖がなければ危なっかしい。しかし、希望で満ち溢れている。昨日も練習で前受け身を決行して、意気は上がっている。

技も前からあたためていた扇子を使った技を試して成功した。アイデアは毎日のように湧いてくる。氣功のことを毎日

考えている。楽しくてしょうがない。

老年になって、同年代の人は完全にリタイアしておじいちゃんになっているが、

私はいまだに現役である。私の息子のような道場生を思う存分投げ飛ばし、壁に向かって飛ばしている。ますます元気で

強くなっている。練習後のビールや食事がとても美味しい。その時の会話も、

話題も、豊富で若い。スマホの使い方を習って、日常生活に活かす。道場生は

私の友達のように感じる。師匠と弟子の垣根は無い。来年のタヒチ、その後の

海外への講習会開催の希望も生まれて

心はワクワクして冗談は尽きない。

道場生をからかって、笑いは絶えない。

練習中も氣で全員をコントロールして

みんなの反応があまりに面白く、大笑いをする。これじゃあ百まで生きるのは間違いないな、と言ってまた笑う。楽しくてしょうがない。お互い無くてはならない存在になっている。みんなで同じ希望を共有する。その希望を持って、私も

道場生も長生きして百を超えて生きるのである。