私は差別主義者か

尤氏意拳の神田真澄こと姜吉隆の犯した事件の処理の責任を果たそうとこの一年間このずる賢いオトコを糾弾して来てはいるが、今でも、何の回答と反応は無く、このオトコがカネに関する事件を犯した時もそうだが、自分の本名を使わずに私の名前を使い、隠れ蓑にして、犯罪行為を犯して使途不明のカネを懐に入れて雲隠れしている。本名を名乗らないのならば私が暴く他はない。あまりに汚ないやり方に業を煮やした私は在日朝鮮人と言う言葉で私の怒りを表している。

私の最初の結婚は中近東の女性であった。姜吉隆が在日朝鮮人であると知ったのは知り合って大分経って後のことであった。そして私は43年間アメリカに住んで中国人韓国人黒人白人の友人がいる。タヒチには多くの友人と裸の付き合いがあって、移住することを考えている。私には人種の差は関係がない。誰とでもすぐ友人になれる。言葉はすぐ覚えて他国の文化に興味がある。私自身は

リベラリストと自認している。私が姜吉隆を差別しているのはこのオトコが在日朝鮮人だからではない。在日朝鮮人も恥に思うほどに醜い人間性を私は嫌って、犯した罪を糾弾しているのである。

あるブログでは私の過激な糾弾の記事の為に追い出されてしまった。ある人には差別主義者と言われて、右翼とも言われた。しかし、私には悪いことを言っているととはこれっぽっちも思っていない。

私は正義の行動を行なっていると思っている。

このオトコが奪ったカネ全額を返金するまで、私の師匠の名をつけた武術団体を解散するまで、地獄の果てまで追いかける。タヒチに移住しても、タヒチの島からブログの更新をして、糾弾は止まない。こんなオトコが武術家で宗家創始総師範と自称することを許す訳にはいかないのだ。カネと詐称の件が解決するまで私は差別主義者と呼ばれることは何とも思わない。姜吉隆が私を訴えるならば、喜んで裁判を受けよう。このオトコの行状を訴えるには丁度良い機会である。私の差別的な表現はこのオトコの親戚も了承済みである。