感性

感性とは自分の中に入って来た情報の印象を自分に受け入れる能力や感受性  を言うが、身近な例で言えば、ファッション関係者にその感性が問われる場合が多いだろう。しかし感性はそんな狭い分野だけに止まらない。感性の本、核の部分があれば、多岐の分野に応用出来るであろう。ではその核の部分とは何であろうか?私は尤氏長寿養生功を三十年の長きに渡って、毎日その訓練を毎日して来た。尤氏長寿養生功の原型は中国一の強さを誇る、実戦第一の、ホンモノの武術の意拳である。ドクター尤は意拳王向斉老師の第一の弟子であって、当時、医学第一の国であるドイツに留学して中国上海で皮膚科の医師となった。当時最先端の医学と中国一の武術を学び、意拳の立禅である站椿功に健康長寿の秘密が隠されていると直感して、医師の立場から意拳の站椿功を研究してチベット密教の瞑想と融合合体を試み、ドクター尤の教養と中国の歴史的遺産の中国武術内家拳の独特な感性から、世にも類い稀な尤氏長寿養生功を創設したのであった。三十年に及ぶ長寿養生功の修行によって、私の感性は磨かれて、私の中国医学の医師としての感性は私の生きる上での哲学の基本と核として、氣功を中心とした簡素でスピリチャルな生き方を目指して一日二十四時間を瞑想を主体とした生活をベースにライフスタイルを確立した。その結果、私はこの上ない幸せを手に入れた。どこで何をしても、何を食べても、楽しく、美味しい、嬉しい人生となった。人によっては、衣服に、車にカネをかけて贅沢する。あたかもそれが人生の目的のように振る舞う者を横目に見ながら、そんな人生は空虚で中身のないものに感じて、私自身は私の感性を持って、私の人生を切り開いて来た。私の身体は身体障害者となった今も、下半身は筋肉がついてドッシリとしているが、上半身にはあまり筋肉が無く、軽くスッキリしている。いわゆる上虚下実となっている。横になって目を閉じれば、いつでも眠れる。情報を得ることには貪欲で、知識欲は旺盛で、頭の回転は若い時より早く、記憶力は衰えていない。先日の手術の際の私の10桁の患者番号を記憶して看護師をビックリさせたばかりだ。感性とはファッションの世界にあるようなものでは無く、人としての生きざま、生きる指針となるものであると私は思う。ドクター尤はすでに故人となられているが、私が最も尊敬する、カッコイイ、感性豊かな氣功と人生の師である。