鎮魂
これは私の教授している尤氏長寿養生功を創立したドクター尤老師と、私の師であって ドクター尤老師の奥様であられた欧陽敏師母に向けての鎮魂で、
私への戒めと私のお詫びでもある。以下。
ドクター尤老師は意拳の王向斉老師に
挑戦して破れ、その場で弟子入りされたのでした。そして、少林拳の名手でもあって、ドイツに医学の留学を終えて医師になられた方でもありました。王向斉老師の一番弟子になった後には、たった
一度だけ王向斉老師から見せて頂いた空勁を、中国のそれに関する凡ゆる文献を読んで調べ上げて、勁空勁主体の新しい氣功を作り上げ、文化大革命後にサンフランシスコに師母とご一緒に来られたのでした。当時ドクター尤が八十代、師母は七十代で老齢になられて、晩年、アメリカに新天地を求められたのでした。よくぞサンフランシスコに来ていただきました。これがアメリカの他の土地であったなら、私には習うチャンスは無かった訳であります。この世界に一つの類い稀な氣功を学ぶ機会を得た私はそれこそ全身全霊死にものぐるいで練習に励みました。最強最良の武術に出逢った私には
これを逃したら、二度と学ぶ機会は
おとづれないと感じたからです。
私がこの氣功を学んだことは偶然とは私には思えません。本当はドクター尤老師も師母も日本に来たかったのでしょう。
そこでたまたまそこに私が居合わせて、
私に白羽の矢が飛んだのでしょう。
私を通じて日本に伝えよ、と。
この武術を武術として伝えられ無い現在、意拳の站椿を深化させる為にチベット密教の瞑想にたどり着いたドクター尤老師は医師だけに先見の明があったのでした。通氣で弟子の氣を丹田に降ろして
武術的に強くなると同時に健康と長寿
も一緒に獲得するシステムを世界で初めて、世界の武術界で初めて作り上げたのであります。その業績は永劫末代讃えられるべきことであります。武術の目的を
殺人から活人へと方向を転換して人間の
健康長寿を目指す平和を構築する手段とするに至ったのであります。私は今一歩、私の経験から、人間の持つ潜在能力を開発できると思われることを氣の交流から思いつき、健康長寿にそれをプラスしています。私は今現在、日本に戻って尤氏長寿養生功を教授して次の世代を育成しております。不覚にも私の不注意と不養生から二度の大病と大骨折で身体障害者となっておりますが、この状態から、私が
どのレベルにまで私が回復するか、どこまでこの氣功武術を発展させることができるかお二人とも天国からお見守り下さい。私はまた日本で全身全霊で全力を尽くして尤氏長寿養生功を発展させて参ります。来年のタヒチ講習会を皮切りに
世界へも発展して参ります。ドクター尤老師と欧陽敏師母の名を世界に轟かせます。師母に私はを以下のことを言われました。
人の前で見せる時は誰から習ったかを言え、と。私は正々堂々と世界の人々に
胸を張って言います。私の師はドクター尤老師と師母であります。と、
お詫びが、一つあります。私がここまで来る過程で、ある愚かなオトコに初歩のこの氣功を教えてそのオトコの為に一時期、間違ってこの氣功の技が伝わったこと、この欲深いオトコが私の道場生から
多額のカネを奪い取って逃げたままの状態です。そして鼻クソのような技術しかないにも関わらずに尤氏意拳などとうそぶいて、ニセの尤氏長寿養生功を教えて
先生方の名を汚しております。でもご安心下さい。私が必ず、このオトコ、神田真澄別名神田吉隆本名姜吉隆を私が生きている限り追及して、あのおぞましい尤氏意拳を解散させて奪い取ったカネを回収して道場生に戻します。安心しておやすみ下さい。