仮名神田真澄実名神田吉隆本名姜吉隆

あまりにも多すぎる名前に驚いてしまうが、尤氏意拳明光武道の大先生、宗家創始総師範は本名を使うと日本の社会では道場に生徒が集まらないと思ったらしい。私の名前を付けて太田真澄と名乗った時には、法律を無視しても欲しがるものを手に入れようとして無理してカネ、高級アパート、高級車に相当の興味があったようで、その贅沢な生活をするカネを道場生から寄付金の名目でかき集め、それでも足りずに資産家女子道場生から私の名前を使い、計九百万円の借金をした後、雲隠れして十年が過ぎた。道場生からカネを引き出すのに「寄付」、「寄付」と言う言葉を繰り返し使い、九百万円の借金も十年間、一円の返済も無かったことには理由があると私は睨んでいる。寄付と言う言葉を使ってカネを集めて詐欺を働いた時には、刑事罰が無いこと、借金の民事訴訟の時効は十年であること、姜吉隆の行動を吟味すると、まるで、以上の二点の刑事罰と民事罰を逃れる方法を調べてこのカネの不祥事を犯した、事前に法律を調べて犯行に及んだ確信犯としか思えないのである。銀行でカネを借りて、十年の間、一円の返済も無いということはあり得ない話である。道場生だから、私の名前を使ったから返済を逃れられると思ったらしい。こんなことをする武術家武道家が此の世に存在するとは、、、。こんな輩に氣功を教えてしまった私にも責任の一端はあると思っている。だからこそ、こうやって、  糾弾して返済義務のあるカネの回収を試みているのだが、今でも、謝罪するような良心のある人間ではない。ここまで来たら、最後に違法行為を犯したことを分からせるのは、私の名前を使った借金は違法で、犯罪であると裁判所に訴えなくてはいけないだろう。あまりに日本の社会を軽く考えて、日本の大人をナメている。幼少期のトラウマが影響しているとは言え、大人になって、犯罪を犯せば罪を償わねばならないことは分かっているはずだ。これだけではない。私の師匠から数年間も過酷な訓練を受けて新、氣の武術を打ち立てたとウソ八百の言葉を使って、宗家創始総師範と自称しているのである。あれも詐欺、これも詐欺、では何をしても、言っても、ウソの詐欺ではないか?名前をクルクル変えて人を騙せば、立派な詐欺師となる。何か一つでもホントで誠のことはないのであろうか?日本拳法のチャンピオンの話にしても、私が手助けして取らせたものである。私がタヒチに移住する前に裁判所に提訴してシロクロをハッキリさせる。私の名前の署名入りの、私のハンコも押してある借用書を陪審員が見たら、これを何と言うのであろうか?詐欺と言う犯罪である、と言うのに決まっている。