喜びと悲しみと怒り

人生の中ではいくつの喜びと悲しみと怒りを経験しなければならないのであろうか?他人との人間関係によってそれらは頭をもたげてくる。喜びは脳に幸せホルモンを放出させることが分かっており、悲しみと怒りはアドレナリンやコルチゾールを放出させて健康を損なう。それならば、喜びだけの人生にして悲しみや怒りを捨て去れば良いのだが、次々とそれらの負の感情を逆撫でするように新しい負の人間との出会いがある。喜びだけの人生にするには、他人を変えられないから自分を変え、自分を変革するしか手立て、方法はない。私は老齢になった今、幸せと喜びだけの毎日を送っている。以前には私の道場から勝手に道場を開けて己れの見栄と見映えの為には手段を選ばずに醜い行為に及んで私が最も大切にしているモノを奪い取るように醜い行為に及んだ者たちの対応に追われていたのであるが、日本を離れてタヒチに移住することが決まってからはそんな負の感情は薄らいで、大きな未来へ向けての希望の構想が負の感情を上回り、笑いと幸せと喜びの毎日を過ごしている。うわべだけの見栄と見映えより心の中身の問題で、いづれ私の心の中身は形となって現実化する。すでに私がタヒチに行く前に全ては用意されている。家、道場生、患者、仲の良い友人たち、人間は幸せになる為に生まれてくる。見栄と見映えにこだわりを持ち、他人の最も大切にしているモノを奪い取る者たちの心を変えることは出来ない。彼らは不幸だからそんな醜いことをする。醜い見栄と見映えだけでは幸せにはなれない。不幸を幸せにしようと他人の幸せを奪ってもと言う、手段を選ばぬやり方はいづれ破綻する。私はタヒチに移住してより幸せになる。タヒチの道場生、友人たちとその家族を大切にして愛する。更に幸せとなる。例えお金が少なくとも、私が持つホンモノのワザと氣のチカラによって作られた喜びと幸せの人生は素晴らしい。悲しみと怒りは消えてしまった。