勇気

人はある局面に於いては右か左か意思を決定する重大な場面が起きる。勇気ある行動が求めらる。若い頃、私は蛮勇を勇気と履き違えて腕力や暴力を使った行動を起こしたことがしばしばあった。今でも怒りにまかせて襟首でも掴んで道端を引きずって歩いてやろうかと歳にもない事を考えることがあるけれども、さすがに老齢になってそんなバカなことをするのは恥ずかしく、瞑想を毎日行なう者のする行為ではないと自省と理性が先に出るようになった。以前、日本の武道に関わっていた時には、同じ若い年齢の者たちがそんな行動を起こしていたことを良く見たものであった。真に勇気ある者はそんな浅はかな行為をしない。勇気のない者が勇気を口にして自分の生徒に対して言う場合もある。勇気のある者は困難に立ち向かう気持ちがある。勇気のない者はリスクを犯してまで困難なことをしたくはないので、回避して安易な道を選ぶだろう。蛮勇でそんなことをしろとは言わないが、リスクを覚悟でことに当たらねば、得るものもない。虎穴に入らずんば虎子を得ずとのことわざの通り、人生の岐路に立った時には一大決心は必要なものである。そして勇気が要る。私がアメリカに行く時、帰国して日本に道場を開いた時、全て自分一人の決断で誰に相談できるものでもない。今回のタヒチ移住も普通一般の人ならば、重大な決心をするであろうが、こんな海外に移り住むことを繰り返すと、慣れて来て大げさに勇気ある行動とか決断などと構えなくなって、当たり前なことに思われて来る。最近は私の周りに真に勇気ある者が多くいて、良く観察すると勇気ある者は正直で、職を持ち、自分の生活を真面目に生きている人であることが分かって来た。タヒチで知り合った道場生であるが、彼の人格は私が師匠であることが私自身で恥ずかしくなるほどに立派で、頭脳も明晰なタヒチ生まれのフランス人である。真面目で正直で、勇気がある。瞑想が好きで、毎朝早く起きて瞑想する。私より年下であるが、私は彼を尊敬している。日本にも、タヒチにも、正直な勇気ある者たちに囲まれて、私にはラッキーなことである。勇気のない者たちは、そして正直ではない者たちは私の道場にはいなくなった。エネルギーの質は波のように伝わって周りの人に移っていくから周りの人物を出来るだけ選ぶようにすると正直と勇気のエネルギーに囲まれて、自分の人生は好転して行く。理想の、私が思い描いていた道場が今、出来ており、将来、自分の理想が実現する。私は今、幸せの絶頂にあり、タヒチ移住後には世界で一番幸せな人間になっているだろう。ほんの少しの勇気で我々の人生は変わる。好転する。