幸せ

人間は幸せになるべきである。人間は幸せになれる。幸せを手に入れる方法は二通りあるだろう。

他人を不幸にして、他の者を踏み台にして自分だけが抜きん出て幸せになりたがる者、そして、他人を幸せにして自分も幸せになりたい者、と大まかに別けられる。他の者を踏み台にして、足蹴にして、騙して自分がカネを得て幸せになろうとする。こんな幸せを幸せとは呼ばない。幸せとはウソの無い自分が、自分のチカラで勝ち得たモノで他人を幸せにしようとすることが自分自身の誇りとなり、周りの人が自然にありがたく思いその気持ち、エネルギー、良い氣が自分を幸せにする理由となる。私は自分が困っていると、誰かが手を差し伸べてくれて助けてくれる。またそれを感謝して自分ができることでお返しをするので、それを喜んだ人がますます上に上げてやろうとする。こんな義理と人情で私は支えられて支え返した。お互いが幸せになる。カネだけが付き合いのベースになっているのは、あまりに人生が殺伐としているだろう。既得権を失くした者が現金にもヤクザまがいの捨てゼリフを残して去っていった。こんな者と縁を切ってからは、私は見違えるように幸せになった。幸いにして、私の持つ技術、氣功は他の人が喜ぶモノで、痛みが去り、ケガが早く治ると、顔が打って変わって幸せに満ちた表情になる。そんなことを見る私はこれまで、辞めないでやって来て良かったと私もまた幸せになる。これほどの人生の生き方はないと私には思われる。自分だけが、幸せになりたいと思う者、他人を不幸にしても幸せになりたい者は戦争で資源や人の財産を奪い取る者と同じ次元の悪魔の所業である。唯一の日本人が世界に冠たれる存在になる方法は他人を幸せにすることで、日本人が幸せになると言う方法にならねばならないだろう。私は他人を幸せにすることで私も幸せになりたい。