自然災害

日本は災害大国になった。昔から日本は災害がつきものだった。木と紙で家が作られていたから、火事とケンカは江戸の華と言って当時は火事が大きな災害だったが、現代は地震に火山に津波と台風が大災害を引き起こしている。百年時代と言われながら、災害時の犠牲者は高齢者が多い。百年を生きるには、災害を生き抜く準備が必要である。いくらカネを貯めて置いても、命を失えば元も子も無い。私は百歳を越えて生きたいと希望している。災害は来年も日本を襲うだろう。地震であるか台風であるか交通事故か分からないが、日本人ならば何かの災害に巻き込まれる可能性は高い。日頃から準備してシミュレーションを想定して置かねばならないだろう。百歳を越えて生きる高齢者を私は尊敬する。病氣や災害、経済的苦境を乗り越えて生きる人生は容易なものでは無かったと私には思われる。師母も中国での日本軍の侵略を経験して、戦後、文化大革命で拷問を受けて、最晩年にアメリカに移住する。ご主人のドクター尤老師をサンフランシスコで亡くした後を継いで尤氏長寿養生功を教えて道統を守った。その道統は日本に渡り、私によって、新しい氣功としてその道統はまた海を渡り、タヒチ、フランスを経由してヨーロッパに伝播するはずであったが、ひょっとして来年スイス、ドイツに講習会を通してヨーロッパに伝わる可能性が出て来ている。道統が途中、不届きな者たちの為に途切れそうになった時もあったけども、かろうじて、私が食い止めることが出来たのであった。これは天災では無く、人災と言うことであるが、人の欲得で尤氏長寿養生功が分断されることは私の代でさせることなど、させる訳にはいかない。人間の欲は災害時にも現われる。神戸の大震災の時に自分の名前を売る売名行為や震災を利用して金儲けを企らむ不届き者を見たことがあった。さすが、大阪の商売人根性はたくましく、あさましいと思ったものである。日本人であるならば、困った時はお互い様、と言う心が出て来て当たり前だと思われるが、そんな心も欲の為に消えて無くなってしまうのであろうか?百寿を迎えた人にどのようにして百年を生きて来たか、聞いてみたいものだが、簡単な人生では無かっただろう。再来年、医師もいない過疎村に移住する私は老後の余生を過ごすのであるが、これからの自然災害と病氣などさまざまな障害を乗り越える準備と心構えをせねばならない。瞑想をするには

最適最高の土地ではあるが、救急車が来るまで二時間もかかる山の中では病氣にもなれない。今の時代でも人が恐れる山奥の村であるが、住めば都となるだろう。こんなイノシシと鹿の頭数が人口より多い土地に住んで幸せに思う最大の理由は氣で繋がりを持つ道場生が日本の他にもタヒチ、ヨーロッパに居て、毎年のように出かけて講習会で見慣れた顔の指導員と道場生に会うことができるから、寂しく思う暇もないだろう。こんな山奥でも立派なホテルがある。龍神村でも講習会を開催する予定であるから、会場はこのホテルの小会議室を使用させてもらう計画を立てている。すでにホテルのマネージャーと知りあって、元村人とも連絡しているので、移住は意外にスムーズに進むことだろう。災害が起これば、村は孤立する可能性もあるのだが、今心配する必要はない。瞑想を深めることが、楽しみでしょうがない。それに日本一の温泉に毎日入れることも楽しみになっている。