顔相と心

顔相は中国語でガンシャンと言って、日本語の人相ということである。親からもらった、

顔相は年代と共に変化して行く。五十歳までに親からもらった顔の骨格と顔相は無くなり、自分本来の顔相が出てくる。顔相に大きく影響するものは自分の生きて来た生きざまとその生きざまを作る自分の心である。

すなわち、憎しみが心を支配するとその憎しみが顔に出る。悲しみは悲しい顔に、怒りは怒りを現す顔になる。東洋医学では感情と病気は密接に繋がっていると考える。悲しみは肺の病、怒りは肝の病、恐怖驚きは腎臓を、喜びは心臓と、それぞれの臓器を痛めて悪化させるが、それぞれの臓腑に治療を施すと治るようになっている。心のありようがその人間の顔相を決めるのである。歳を重ねても皺が少なく、スッキリした顔はその顔を見る人に好印象を与える。難波先生や井上先生がそうであった。高い化粧品を購入して化粧しても、皺取りの整形手術を受けても醜い顔は変わらない。心を整理して、感情をコントロールすることや瞑想を良くして支配されている感情の元を探らないといけない。そう考えると、今、イケメンと自称しても、他称されても、五十歳を超えたあたりから、自分の心は面に表れてくる。醜い心は醜い顔に、美しい心は美しい顔にと、

私の家を売ってくれた女史は五十歳を超えた方であったが、とても美しい方であった。アコギな方法でカネを集める不動産屋にしては

余りに、心が純粋で、顔が女優のように美しいので、私は直接聞いてみた。不動産屋は普通、カネの亡者ではないですか?何故そんなに綺麗な心で商売出来るのでしょうか?と、私のぶしつけな質問に笑って答えたのだった。

誰にでも売ってあげてるのではありません。この人を助けた方が良いと神様がお決めになったら、全力を尽くして売るだけなのです。こちらもお客を選ぶのです。と、

後で分かった事だが、この方はこの近辺の不動産売り上げナンバーワンで、不動産屋会長も務めている億万長者の一人であった。美しい心は顔だけ美しくするのではない。商売事業も上手くいき、お金もたくさん集めている実例を生まれて初めて見たのであった。この女史とは、もちろん、

今でも親交があって、時々、 FACETIME  しては、この美しい女史と英語で

会話をしてエンジョイしている。

いつも言っている、瞑想が大事になってくる。顔は美しくなって、お金もたくさん集めて、人生をエンジョイすることになる。

 

顔相と政治家

問題発言大臣とおバカ大臣達の顔相を見ると顔が汚くて、顔相がとても悪く、見た目がとても悪い。皮膚は汚く、心の深部が面に表れて表面に出て来ている。高学歴だろうが、政治の世界に長く、経験も豊富だろうが、関係ない。素食で綺麗な生活を送っていれば、欲にまみれた生活をしなければ、そんな顔相になるはずはない。目は三白眼で根性は悪い。気持ちの悪い顔である。悪魔顔である。

私の師匠の欧陽敏師母が存命ならば、

不好(プーハオ)の一言であろう。

師母の顔相と言えば、師母は私の耳たぶを触るのが好きだった。いつも言うのが、お前はカネ持ちになる、お前はカネ

持ちになる、とのことであった。

私はふざけて  When?  When? と聞いた。答えることは無かったけども、師母は、赤児のような肌や顔が好きだった。

とてもじゃないが、日本の政治家の顔を、師母 は気にいるはずはない。

最古で最新の氣功

中国の遺跡から氣功をしているポーズの絵が発見されている。それこそ、周時代の遺跡からの発見であった記憶があるが、間違えていたならば許して

いただきたい。この最古の健康法は

ドクター尤老師によって、チベット密教意拳の融合により単に王様だけを

不老長寿にする目的で無く、万民の健康長寿の為に新しく、医学的根拠に基づいて、改変されて統合医療の一環として、今、日本に伝わっている。最新の医学が、その効果を認め始めて現代に独特の代替医療の現場で用いられてその地位を築いている。太田氣功道場にその最古で最新の氣功はドクター尤老師から欧陽敏師母へそして私太田光信へと受け継がれた。最古で最新のユニークな氣功は

人間の脳の傷をも癒して   Over Stressが原因のトラウマまで治す

心療内科の分野の領域まで幅広く使われるようになっている。最古で最新の氣功は武術の究極の形としても、尤氏長寿養生功として太田氣功道場にて毎週、修練訓練されているのである。

出会い

私の人生は人との出会いの連続で、

良い縁の出会いもあり、悪い縁の出会いもあった。悪縁で出会った人は長続きする関係にはならない。良縁の出会いを喜び、自分の勉強になり、人生をより良くしてくれる人との関係を大事にして、

その延長で又出会う人をも大事に、

貰えるチャンスを逃さない。紹介された仕事は手を抜かない。全身全霊でやり抜く。前に言った、自分の努力勤勉をフルに活用して働いた。渡米の際、所持していたお金はたった千五百円だった。

私が当時持っていた全財産であった。2015年二月に帰国する前に売った、私の家が思いがけ無く、近くのシリコンバレーが好景気になって、 不動産が高騰して、売る前に私の家はアメリカの景気が悪くなって、一旦価値が半分になっていたが、急回復して、心が綺麗で、美人の女史不動産売買の人が上手く売ってくれたおかげで、八十一万ドル、日本円で八千万円ほどで売れたのであった。もちろん、

銀行に返済する金額がほとんどで、日本に持って帰れたお金は少ない。しかし、

借金を全額返済して、安心して帰国する。千五百円が八千万円になった。

思えば、助けられた人によって、私の人生は動き、場面、場面、で次の段階に

ジャンプアップして徐々に階段を登ってきた。エポックメイキングな出会いはいつも言う尤氏長寿養生功の欧陽敏師母であった。私の家財道具一切を売って、お金を作り、鍼灸の仕事も切りあげて修練した。そんな時は私の日系二世の日本人患者さんが助けてくれた。私がエクストラに持っていた、玄米を炊く

電気圧力釜をあげた御返しだと言う。助かった。このように

 

 人間の情によって支えられた私の人生は

より良い方向性を保ち、前に進んで行った。あれほどキツく過酷な師母の道場でも話の合う先輩中国人と友人になる。今でもコンタクトがあって、

 いつでも連絡出来るようになっている。人との出会いこそ人生を彩り、価値を高めて次の段階に引き上げる

ものであった。出会いは一期一会の心で対処する。出会った人を足蹴にするようでは、自分の人生を足蹴にするようなものである。そんなことをしては人生を高みに押し上げ、幸せになることはない。

悪縁の人や裏切りの人物はe- mail のようにゴミ箱に入れられて、良縁の人は今でも、私の脳裏に永遠に残り感謝の念と私の強い氣と良念で守り続けさせていただいている。

男の嫉妬

私が極貧の家に生まれたプライベートな

事は既に言った。私には嫉妬、やっかみを向けられるものは何もない。が、良く子供のころから嫉妬された。高校に入っても大学でもアメリカに行っても、嫉妬はつきまとった。良く考えたけども、理由がわからない。全て男の嫉妬だった。尤氏長寿養生功を修める時も通氣を頂いた時も、日本で道場を開いた時も、特に私がテレビに紹介された後は他の氣功関係者そして私が一時期教えた尤氏意拳の神田真澄こと姜吉隆は私の言うことすること全てに嫉妬していたらしい。男の嫉妬は陰険で汚くて見苦しい。私の大学の武道の先生も何故かしらないが嫉妬した。私には

嫉妬されるものは何もない。唯一、ハッキリ分かった時は私の妻とサンフランシスコで外食に出かけた時に隣に座った男が私と妻の顔をマジマジと見て、犯罪だよなぁ、と大声で言ったときだけは何故か分かった。妻は見た目が若く見える。氣功を本格的に訓練して、日常生活も自制して、若く見えたのであった。私はヒゲを生やしておじいちゃんに見えたのである。嫉妬の理由が分かった時はこの時だけだ。

STATESMAN と MARTIALARTIST

 最近の政治家は政治屋に成り下がっているようである。カネ、モノ、オンナに眼がくらみ、倫理を失って、国民の怒りを買っている。政治屋を英語では

 Politician  という。志の違いで、政治家は政治屋より高い志と倫理を持っている。武術の世界でも同じように、武術家の英訳はMartial Artistという。そうである。武術家はArtist、芸術家なのである。一般には芸術家は、貧しく、美の追及に熱中する者ではないか?

私は武術の世界に半世紀ほど、首を突っ込んで来た。が芸術家の武術家はあまり見たことはない。カネと権威にしがみつく情け無い武術家が多かった。親がカネ持ちの生徒を優遇して、段位はいつも誰より早く取った。私はその事実を後ろ目に誰より練習に励んだ。カネを持たない私の昇段は遅れた。そんなことはどうでも良かった。実力の無い有段者ほど、情け無い武術家はバカにされるだけなのを私は知っていたからである。またこんな指導者とは縁を切り、二度と会うことはない。全て関わるものは、その先生には自分の人生の階段を登る道具であった。私は道具の一つとして

使われたのであった。そんな情け無い武術家の所属する武術団体は昏迷の時期を迎え、その団体は今離反が続き、ボロボロになっている。その団体に私が未だに関わっていたならば、今私が感じる幸せを感じているだろうか?特に

武術団体というものは世界が狭く、井の中のカワズとなって、その中の序列や権威に縛られて、上段者が下の者を利用する極めて不条理な世界となっている。

もしあなたがそんな状況にいるならば、

決して幸せになることはない。

金と時間の無駄になる。自分の人生を

大事にすることである。前も言ったが、自分の人生は一度切りである。

無駄な時間を費やす暇は無い。他に生産的なものとなるものを見つけられるはずだ。回りを良く見渡して賢明な判断をすることが大事だ。投票する時も大事な

一票を政治屋の志と政治家の志を比較して、これもまた、賢明な判断をすることである。

二十四画の私の姓名

姓名判断と云うものがある。私の姓名は全体全部で二十四画、姓名占いによると、二十四画は晩年良好、人資四方より集まり来たり、願いごとかなう。

細かいことは忘れてしまったが、おおむね、そんなことであった。極貧無学の家に生まれた割には、私の二十四画の姓名は吉祥で、私の運命を晩年明るくしてくれている。確かに今道場生は全国四方より集まり来たっている。誰が名づけてくれたことかはわからない。数字にも数霊と云うものがあるようで、数字にも、

意味運命があるようだ。いわゆるラッキーナンバーと云うことである。その他、厄年に何をするかによって、運命は変わる。厄年に結婚してはいけないとか、

厄年に禁忌のものは多い。私の四十二歳の厄年には、私は奇しくも、尤氏長寿養生功を訓練して、ついに通氣の儀式を受けて日本語で云う免許皆伝となった。

厄年に成ったものは、得たことは、一生失わないと云う。こう考えると、厄年に失ったことや物は、二度と手に入らないと云うことになる。私は厄年のことも過ぎてから気づいた。それだけ余りに面白い武術氣功習得に熱中していた。私の回りに人が集まり、道場建設費になる資金が少しづつではあるが集まる気配を感じている。

この晩年になって、事業を起こして、

念願の自前の道場建設の事業を展開するなど考えたこともない。が、心は若く、ワクワクする。心が躍る思いの毎日だ。

唯一の、親が残してくれた私の吉祥の姓名は、私の晩年を明るく、嬉しいものにしてくれている。両親に感謝するべきだろう。他にも顔相と云うものを師母から習っている。機会がある時に紹介しよう。