友人
私が来年タヒチに行くことはすでに述べた。友人はいてもらうだけでありがたいものである。特にこれといって何の利害関係がない友人とは一生付き合えるものである。人を見れば損得勘定とどうしたら利用出来るか考えてばかりいる者には無縁の話である。タヒチの友人は中国人である。このタヒチの中国人達は普通の中国人ではない。客家、ハッカと言って、中国の統治者、政府を信用せずに
丸い大きな集落を作って家族一族集団で住んでいた。一族郎党を引き連れて
中国を脱出して東南アジア諸国に移住した。ハッカは全員が商売上手で、行く先々で成功する。シンガポールのリカンユウが一番有名だろう。私の友人の亡くなった父親も商売で成功してその島の有力者、村長さんのような存在であった。
私はこの方に大変可愛いがられて、まるで家族のように私を受け入れてくれた。
一ヶ月ほど彼らの家に滞在して美味しい中華の昼食後に一緒に並んで海の見えるベランダで毎日昼寝をした。このライフスタイルは私の癖になってアメリカに帰っても同じように毎日昼寝をしていた。
ハッカ達の家はほとんど全員が海に面した土地に家を建てて住んでいた。こんなことがあった。昼寝を終えてぼんやりしていたら、お父さんが私を大声で呼ぶ。あれを見ろ、アイヤー!ビッグ!と言う。ふと指指した海を見ると、巨大なマンタが水を蹴って家から数メートル先を
泳いでいた。また、ナマコは極上の
タンパク質で中華にも使われると言えば、翌日にナマコを目の前の海でいっぱい取ってきて私に見せる。乾かして、
お前に食べさせると言う。日本のナマコの三倍の大きさであった。またある日、
エビを取りに行く、お前も来い、行ってどんなエビかと思えば、見たこともない三十センチほどの大きさのシャコだった。海の幸は全てが大きい。小さな川に水が湧いていて、そこに
ウナギが生息しているという。エサのチキンの骨を投げ入れたら、頭が赤ん坊の頭のサイズの三メートルもあるウナギだった。大蛇のようである。骨はひと息で丸呑みだ。ウナギはタヒチでは神聖な魚で誰も食べない。だからとても大きくなる。たまに韓国の船乗りがウナギを捕まえて、蒲焼きにして食べるのだと言う。ここでも朝鮮人は評判が悪く、皆怒っていた。郷に入っては郷に従うことわざを朝鮮人は知らないらしい。日本人は新婚さんが来てお金を落としてくれるから
とても評判が良い。バニラと黒真珠が
特産品だ。
正座
先週から修練中に助けを借りて前受け身を決行しようとしたのだが、二十年ほど受け身はしていない。そしてリハビリの先生からするな、と強く禁じられていた。何度か受け身の格好はとってみたが、ケガをする、足首や膝をダメージしたらもっと悪くなる、との言葉と自分の感覚が
戻らない。結局受け身は次回決行 となり、中止となってしまった。が、諦めがつかない。そこで今日膝当てを買い、
ベッドの上で正座を試みる。すると意外にそんなに痛みも無く、完璧な正座ではないにせよ、腰高の正座になってしばらく、その形を保つことは出来たのであった。膝を二つに折り曲げて足首をまっすぐストレッチする形になり、痛みはあるが、一応今迄出来なかった正座がまがりなりにも
出来たので、とても嬉しく感じて興奮しながらこのブログ記事を書いている。
このままだと今金曜日の修練会では、
前受け身を敢行出来そうだ。膝当てがあるので不安感が無く、これまでストレッチに励んでいたので膝を深く折り曲げてもそんなに痛みを感じなかったようだ。
とても嬉しい。脚の筋力トレーニングも
デイケアの誰よりも時間をかけて一日中しているので筋肉痛はあるが、気持ちが良い。タンパク質をたくさんとっていたら、脚の筋肉に加えて上半身の筋肉もつき始めて肩回りの筋肉、上腕二頭筋、上腕三頭筋が大きくなった。身体は前よりがっしりして力がみなぎっている。
上半身は一切トレーニングしていない。
不思議でしょうがない。この歳になって、ボディービルでもしてみようかと思うくらい調子が良い。大胸筋も大きくなった。身体が若々しくなっている。デイケアの老人達も、太田さん、身体が軽そうだね、リハビリ頑張ってんね、と言ってくれる。こっちは真剣だ。早く前受け身が出来るようになりたい。椅子から立ち上がって訓練を授けたい。歩き方の訓練も始まっている。歩く時も筋肉の使い方がある。なかなか膝を少し曲げて歩行をすることが出来ない。転けてしまうのでないかという恐怖がある。これからは膝当てをしてリハビリをする予定だ。
例え転けても膝をカバー出来れば、ケガも大したことはない。ますますの意欲が出てきた。このままだと完全復帰も近いと思われる。来年に向けて日本のパスポートの申請も近い。着々と準備中である。全てのことが順調に進んでいる。
嬉しくて楽しくて幸せで、身体は健康で、
毎日を元気で過ごしている。正座と前受け身が出来るようになる日も近い。
浄化
尤氏長寿養生功の修練の最初の目的は Cleanzing, 浄化である。もちろん、
宗教ではないので、心の浄化ではない。
始めは身体の浄化に重きを置いている。
私が最初に站椿を行った時は、ゲップとオナラがドンドン出て恥ずかしい気持ちで遠慮がちにしていたのであるが、となりの先輩が遠慮無くしているので時とともにゲップとオナラは日常的なものになっていった。別にわざとそうしていたわけではない。自然とゲップとオナラは出ていった。汗とゲップとオナラは身体の
毒素を出して3年ほどすると、明らかに
肌はツルツルスベスベになって私の同年代と比べるとずっと若く見られるようになっていた。浄化されていたのである。
氣の効果を確認した後は毎日の日課となって瞑想は無くてはならないものとなっていく。もっと上達してもっと内面を
開発したらどうなるか興味が湧いてくる。そこから先は宗教的な行となっていくのであろうが、これはあくまで氣功
なので、健康長寿が目的であって悟りを開くことが目的ではない。しかし、瞑想がチベット密教から来ている以上、
究極は悟りを目指すことになるであろう。悟り以前に心身を浄化するのは
当然である。どっちにせよ、浄化は大事なものである。健康で長生きをするには
身体だけでなく、心、精神も健康に
ならねばならない。運動と瞑想が身体と
精神、心を頑丈で健康にする。
もちろん食事も関係する。いつも言うように、食、体、想、を三本の柱として
尤氏長寿養生功を修練すると修練前に比べるとその違いは明らかである。ドクター尤老師がご健在の折サンフランシスコの北にある仏教のお寺からひっきりなしに人がおとづれて来たと師母と先輩から
聞いたことがある。仏教徒にとっては
魅力的な修行法と思われる。修行法と言えば、武術に携わる者にとってもこの氣功はヨダレの出る程に修行したいものなのだ。
東洋医学
東洋医学の全てをこのブログ記事として書くことは不可能である。そこで、
私が学んだ鍼灸と漢方の中で特に印象に残ったもので現代の西洋医学が科学的に解明したことに焦点を当てて述べてみたい。五臓六腑の言葉を聞いたことはあるだろうが、五臓は中身が詰まったもので
陰陽のうち陰とされる。五臓は心、肺、肝、脾、腎がある。腎は西洋医学で言えば腎臓であるが、東洋医学の腎とは
西洋医学の腎臓の機能の他にも生殖機能も含めた機能的な存在として捉えられる。この考え方は現代の医学において、
Embryology という新しい医学の分野で証明されている。胎児に関する学問であるが、胎児の時には腎臓の元が三つあって、二つは腎臓として左右に作られられるが、残りのひとつが生殖器として
形成されるという。
中国古代の医学の理論が現代の最新医学によって証明されている。もうひとつ言おう。なぜ針1本打っただけで、痛みが
消失してしまうのか科学的に研究された。そのメカニズムは、切皮と言って、
針が皮膚を貫通すると脳の神経がその刺激に対して、脳内ホルモン物質である
ベータエンドルフィンが放出されて
痛みを消すのだということが結論づけられた。ベータエンドルフィンの化学式は
麻薬のモルヒネと同じ構造でその違いは化学式の足1本だけ違って残りは全て
同じ構造であるという。脳がモルヒネと
感じて痛みを消してしまうらしい。
たった二つの例を挙げてみたが、驚くべきことである。人類史の古代において、
科学的ではないにせよ、その医学に応用していた事実があり、実践していたのであった。今でも性機能の衰えは東洋医学で、鍼灸と漢方で治療することができるのである。しかも副作用はない。
現代のクスリ漬けの医学治療に対して
自然療法、代替療法としていまひとつの
方法として考えても良いのではないか?
と思うのである。
筋肉と脂肪
たくさんの人が見たと思うが、また、
NHKで「人体」という番組があった。
脂肪はただの脂の集合体ではなく、複雑な役目を果たす臓器であるというのである。食欲に関わる物質を脳に届けて、お腹がいっぱいになったことをこの物質が視床下部に働きかけるというものである。また筋肉はメタボの人の食欲を抑える物質を余計に出させる物質を放出して
満腹になってそれ以上の食欲を起こさせ無くするということである。他にも筋肉は記憶を良くする物質を放出したり、
記憶力を増大させたりする重要な役割を果たすというものである。脂肪過多でも筋肉過多でも良くない。程よいのがいいとするのが東洋医学であって、この番組では臓器同士がお互い連絡し合って健康を保つと言っていた。面白いことに
東洋医学には陰陽五行説という哲学がある。その中でも五つの臓器が互いに<相生、相克で/p>
影響し合って健康を保つと言っている。
西洋医学の最先端は何千年も前の東洋医学の説を科学的にこの現代で証明している。他にもいろいろあるが、他のことは
またの機会に譲るとしよう。それらを読んだら、東洋医学も捨てたものでは無かったと思うであろう。次回に、
師
人生において良い師を持つことは難しい。特に日本の武術武道団体はその構成人数があまりに多く、玉石混交として、教えを乞う師が石なのか玉なのか長い年月をかけなければ分からない。その
習っている武術武道がホンモノであるかどうかも分からない。
私は日本の武道にあらゆる面で失望して
次なる武術の師を求めて彷徨った。
そして尤氏長寿養生功の欧陽敏師母との出会いは衝撃的なものであった。
私の中国医学の知り合いがサンフランシスコに面白い中国人老女がいて、大きい白人アメリカンや中国人を触らないで
投げ飛ばすという。大変な興味を持った
私はすぐさま見学に行き、入門を願ったが、私が日本人という理由ですぐには
許可は下りなかった。前にも言った
嫌味な中国人女子が意地の悪い目つきとバカにした態度で私を迎える。まるで
自分が師母のような素振りである。
間も無くとてつもない武術の継承者で
あることが分かった。中国武術の中でも、最強と言われ、大成した拳法、大成拳と呼ばれた武術と分かり、私はついに
私の求める師に出会ったという感慨を
持ったのである。奇跡である。求めているといつかはこうして出会えるのである。氣だけに特化した氣功武術と言うので東洋医学の源である氣、武術の究極にある氣を学べるということ、しかも
中国最強の武術を学べるということで
私は狂喜した。その他にもチベット密教の瞑想と融合したメソッドがあり、仏教
哲学を内包していることも私の興味をそそったのであった。このような稀に見る
師匠に出会えることは日本人、私にとって、まず考えられないことである。
出会うこと自体が、しかも私の住んでいる土地に師母が住んで教えていたことが、奇跡であった。
師は人生の中で羅針盤のような存在であり、時には実の親よりも大事で尊敬する
存在である。特に私は両親にも失望しており、師母は次第に私の本当の母親の
ような存在になっていった。私が訓練中、さまざまな障害にあって小旅行をして休みを取った時も師母が電話をかけて来る。明日から練習に来いと言う。そんな時は
気にかけてくれてるんだな、と内心嬉しかった。そして、早く練習に戻ろうと
思ったのであった。だんだんと訓練は
私の生き甲斐となって私の人生には
無くてはならないものとなっていく。
師母が亡くなった時には、あの不死身の
ような師母が遂に、本当の別れの日は来た。涙が流れて止まらない。私の親の時はこんなにも泣いただろうか?他の
道場生は泣いてはいない。私だけが
泣きぬれて何度も何度もハンカチで
目を拭うのであった。文化的な違いであったろうか。それだけでは無かったと思う。私にとっては、師母は既に私の
母親だったのである。親の死を悲しむのは当たり前である。こんな体験をした
私は幸せ者であったと思う。師は人生の
意味を考えさせてくれる。私という人間の
価値を高めてくれる存在なのだ。
体験してみるとわかる。師を持つと言うことは乾ききった人生の中でのオアシスのようなものだ。この師の下では安心して学べることが分かった時は、どんなに歳をとっても、師と呼べる人がいるだけで、我々の人生は豊かになるのである。
私は未だ師母の年齢には至ってないが、
この氣功を教授するようになって、
果たして、私が師と呼ばれる存在で、実力と尊敬を持つ師になっているのかどうかは
分からない。しかし、私にはドクター尤老師と師母がいる。いつかはドクター尤や師母のようになってみたいという願望と
目標は持っている。ドクター尤と師母は、
私にとって、まだ亡くなってはいない。
良き師は持つべきもの、探すべきものである。
自殺願望
日本の若者には557万人も自殺願望があるという。信じられない数である。
命は神が与えたもので自分で勝手に生まれて死んでいくものではない。良く考えてみれば、人間として生まれること自体が非常に稀なことで、もしかして虫や動物に生まれていたかもしれない。私などは、母親が言うには、中絶を考えていたと言う。まるで牛や豚を扱うようである。それでも生まれて来た。そうであるならば、精一杯死の瞬間まで生き抜いて、自分の生きた
証を残したいと思っている。自殺することは神様を裏切ることになる。何故ならば、我々の命は、大本教によると、神様が此の世に我々に与えたもので我々のものではない。神様にお返しするものである。
与えられた命よりもずっと高次元で
もっと立派な自分の命として返さねばならないものである。とすれば、自殺するなどは、神との約束を反故にすることになる。社会としても、これだけ豊かになった国に557万人もの若者が死にたいと思っているなどは、国として何かがおかしいのではないかと思わざるを得ない。
先進国でこれだけの若者の自殺願望があるのは日本だけであると思う。
外国、例えばアメリカでは、毎年3万人の若者の死は戦争以外はない。
日本では高齢者も含めて、毎年、3万人の自殺者があるという。
それだけの日本人が、自らの意志で死んでいくことは私には耐えられない。
日本に生まれて日本の教育を受けて、
日本に生きることは世界にも稀な事である。私は大事な青年期と壮年期をアメリカで過ごしてしまった。後悔はしていないが、今、日本に戻り、日本の全てを受け入れて満足している。そして、嬉しく、楽しく、幸せに生きている。