感謝

  私は老後を地上の楽園と言われるタヒチで暮らそうとしている。氣を三十年間訓練して、タヒチの人々に認められ、私は、タヒチの人々の心に感謝して、これからのタヒチの為に私のチカラを活用してもらいたいと思い、タヒチへの移住を決意した。感謝の念は人と人を結びつけ、奇跡を生んで行く。感謝は人間関係の基本であり、人間の心の土台になるものである。ある人間は袋小路に入って、ニッチもサッチも行かずに人生が行き詰まり、どうしようもないところに、私にカネを出してもらって穴を開けてもらった後に人生が前に動き始めても、感謝は無く、感謝どころか、その恩を仇で返す行為をして、今また、袋小路に入ってしまった。また元に戻ってしまった。このように感謝を忘れると、天から罰を受けて同じことを繰り返してしまうのである。私の今回のタヒチの一件は、私が以前にタヒチの島でお世話になった Mr. Lachaux  がお亡くなりになって、お墓参りをして、お礼を言いたくて、お墓参りをしたのであるが、墓参りをした後にタヒチでの仕事が舞い込んで、タヒチへの移住が決まったのである。この感謝を忘れた人間とは全く逆に、私には幸運と幸せが、私の人生に振って湧いたのである。このように感謝を忘れずに恩を返す努力をすると、天は見捨てることはない。良心は良運を呼び、悪心は悪運を呼ぶ。その良運のお陰で、今や世界に打って出る準備が整いつつある。夢であった、日本と世界に尤氏長寿養生功の伝承が現実化しつつある。私にはこの良い運気が、私の恩人である Mr.Lachaux の魂が喜んでいることによるもので、この良運を運んで来てくれたと思わざるを得ない。そして、今のこの幸せを手に  入れるようになった全ての縁に対して私は感謝をしている。

歪んだ人間性

私がアメリカで武道を教えていた時に、ひとりの性格の悪い指導者がいて、ある日、合同で練習したことがあった。どこか田舎の大学出身で、私とはあまり話しが合わない。私は彼の凶暴的で筋肉に頼る技術、ワザの無さを嫌い、彼は私の先にアメリカに来て、経済的にも安定していたことに嫉妬と武道の道場をうまく運営していたことを心良く思っていなかった。練習の時に彼と組んで練習したところ彼の手首を掴むと指で私の目を力の限り、叩いたのである。暗黙の了解で目は実際には打ってはいけないことになっているが、彼は興奮していたせいか、私の目を突いたのであった。私の目からは血が滲み出て猛烈な痛みがあった。幸い、医者には行かなくて良かったが、心の底に競争心が存在すると、こんな時に凶暴な行為となって、ケガをする。この時は事故ではなく、故意の事件であったと思った。日大の事件も同じように、故意の事件で、しかも監督とコーチの指示に従って起きた事件である。私が今追いかけているカネの不祥事を起こした人間は、使途不明金が多額にあって、そのカネを持って返還せずに音信不通となっている。私の謝罪要求にも答えずに沈黙を守っている。民事訴訟の時効を待つ作戦と思われる。刑事事件の訴訟も起こすことは出来ない。寄付という言葉を使ってカネを集めたからだ。明らかに法律のアドバイスを受けてからカネを集めた形跡がある。だから私は裁判を起こせない。このように歪んだ人間性の者達がスポーツをして、武術武道をする。そして指導者になる。危険なことである。その人間性のチェックが出来ないままに指導者になって行く。その心は嫉妬と欲望に満ち溢れ、抑制する手段を持たない。幼い時のトラウマも解決出来ないうちに力とワザは大きくなると共に勝手に付いて歪んだ人間性はそのままになってしまう。そして権力を持つ。歪んだ人間性は歪んだ組織を作り、歪んだ人間性は歪んだ社会を作って、同じような人間性の 人間を作ってしまう。この負の連鎖をどこかで断ち切らねばならない。瞑想が必要である。瞑想によって嫉妬や欲望を抑制する内省を深めて歪んだ人間性を矯正するのである。

タヒチプロジェクト

これより私が考えているタヒチでのプロジェクトがいろいろある。

第一にマハナプロジェクトで太陽光発電による電気を各家庭に届ける。

第二、タムレプロジェクト文化交流を盛んにする。日本で太鼓や津軽三味線など郷土芸能タヒチで公演する。タヒチアンダンスの交流を深める。

第三、 Sumo Project,日本の相撲の興行、野球の冬季キャンプをタヒチで行なう。などのプロジェクトの実行を考えている。

すでに現地の了解も取り付けてあり、十一月にもう一度タヒチで詳しい話しになるはずだ。タヒチの社会を根底から変える素晴らしい計画である。私は単なる鍼きゅう師では終わらない。個人の身体を健康にするだけでなく、社会をも元気に健康になるようにアドバイスを行なう。タヒチがより精神的に健康で現地の人も社会も百の島も長寿になる。私の余生をこの島々の為になるよう使いたい。私は私の人生を楽しんでいる。とても幸せだ。

甘えとタカリ

今回の日大のアメフットの傷害試合に絡んで、尤氏意拳の神田真澄こと姜吉隆の私との因縁を振り返ると、このオトコの今までの人生は甘えとタカリの人生であったと言わざるを得ない。母と姉に甘えて、周りに集う者たちにタカって奢ってもらい、カネを出させる。その甘えとタカリは見事に手際が良い。私も最初に会って以来、時間とカネはいくら提供させられたかは、覚えていないくらいである。今でも取って逃げたカネの全額を道場生に戻すべく奔走しているが、逃げ回っているので、連絡することすら出来ない。こんなどうしようもないオトコと縁を持ってしまった私の不覚であるのではあるが、五十近くになってなお、このオトコの甘えとタカリは治っていないようである。自立することが出来ない。幼少期にあまりに母と姉に甘えて、長じるにつれて、周りの人に甘えてたかるようになった。学校を卒業した後は私の氣功で大金を手に入れられて、その味をしめてしまって、忘れられない。そこでも、カネが必要になると働かずにカネを調達する方法を思いつく。私の道場生に寄付という名目でカネを集めて、それでも足りずに小金を持つ老年女子道場生に近づき、あなたは私の母です。などといういつもの常套句を用いて私の名前で借金する。そして、トンズラする。今まで都合をつけてもらったカネは返したためしはない。いつまで経っても自立出来ない。このまま行けば、計千五百万円のカネを返さずに一生を終えるだろう。詐欺師と呼ばれる一生を終える。こんなオトコが武術家と名乗ることなど許されるのであろうか?すでに親戚にも見放されてしまった。

太田氣功学校学生募集

最近の太田氣功道場の世界への挑戦は思いもかけずにトントン拍子に進んでおり、日本全国制覇の夢も叶え無くてはいけない。そこで、戦術というか、太田氣功学校のカリキュラムを変える決定をしてもっと単純明解に、もっとシンプルで、強力なカリキュラムに変更してより短期間に、より健康長寿に誰でも、老人でも女性でも学習してすぐに教えられる内容とした。初めから、尤氏長寿養生功の目的を言っているように、我々の目指していることは健康長寿であり、武術や強さではない。そこで、現在、タヒチで行なっているように瞑想だけに焦点を絞って、立禅と座禅だけを行なう内容のカリキュラムに変更した。これで世界    制覇と日本全国制覇を目指すこととした。教師養成期間も短くする。このシステムで出来るだけ教師の数を増やして全国に広める。

タヒチではすでに三島を制覇した。あと九十七島が残る。私がタヒチに住んだ後は、時間の問題である。

最初に氣功学校学生を募集して教師を養成して支部に昇格させるべく講習会を開催してインストラクター、指導者になるカリキュラムを別途用意する。指導者になった分校は支部に昇格させる。この戦略で日本全国制覇を目指す。世界戦略はタヒチからスタートする。次にシンガポール支部をスタートして、東南アジア、インドネシア、タイ、ミャンマー、中近東を経て、インド、トルコ、エジプトに西進してヨーロッパに到達してフランスと合流する。世界戦略は世界制覇を目指す。そして日本のことになるが、太田氣功道場では一年中毎月氣功学校の学生を募集している。今までは一年かかっていた教師の養成期間は十ヶ月に短縮される。教師になった者は十カ月後にまた同じように学生を募集して教師を養成してもらいたい。体力のない学生、特に老人女性でも無理無く

十カ月で教師になれる。まず底辺を拡大して基礎土台を作り、段階を上げて、インストラクター、指導者を教育養成する。世界で、日本で、活躍したい者はふるって太田氣功道場に連絡してもらいたい。太田氣功学校の募集要項を受けとってもらいたい。私がタヒチに出発するまでにあと二年ある。出発前に講習会と学校で直接の指導を受けてもらいたい。みなさんの受講と学校への入学をお待ちする次第である。タヒチ移住後は一年に一度しかお会い出来ない。

一点の曇りも無いか?

尤氏意拳と称する武術団体には立ち上げる時には何の良心の呵責無く公明正大な心でこの武術を立ち上げたのかその生徒たちは宗家創始総師範と豪語する姜吉隆に聞いて見るがよい。私が推測するには、何も答えることは出来ないだろう。

カネを返さずに私に破門されて、こうなったらヤケクソで、後は野となれ山となれ、で、自分が武術団体のトップになったら、誰も文句は言えまい、自分で開いたと言えばいい訳になる。もちろん、姜吉隆に私以上のチカラがあればの話である。三十年前に習った私の初歩のワザでは無理である。あれ以来、私から習わずにはどうやって氣を増大させることが出来ようか?カネの不祥事は解決出来てない。ドクター尤からも師母からも習ってない。私に習ったのはたったの一ヵ月だ。尤氏長寿養生功をたったの一ヵ月しか習わないのに尤氏意拳と名乗ることはよほどの天才か、よっぽど傲慢でキチガイのどちらかである。武術に秀でる者は

学問にも通じている者である。大学受験に何回も落第して私が見限り、短大に行かせてやったのが関の山のオトコが新武術をたった一ヵ月習っただけで作れる訳が無いから、よっぽど傲慢でキチガイの口だろう。天才であるはずはない。一点の曇りどころか、曇りの色は真っ黒で真っ暗だ。カネの問題と武歴詐称の問題が解決していない。スタートがこんな曇った武術団体はお先真っ暗で、崩壊して解散の憂き目に合うのは目に見えている。

世の中を甘く見るんじゃない。私に会って、あまりに簡単に欲しいものが手に入って舞い上がってしまったのである。密教の瞑想をするので、欲しいものが手に入って当たり前ではあるが、手に入ったものに感謝して己れの分をわきまえて、おとなしくしていれば、今ごろは世界に派遣でもされていたのに、欲をかいてしまった。私に己れが出した牙とツノを見られた以上、もう甘い汁を吸わせない。寄らば大樹の陰と、私に寄りかかることはこの世ではもう出来ない。一人寂しく生きていくしかない。頼りない生徒たちのイヤイヤ出す寄付に頼って、老後を過ごして行かねばならない。自分で選んだ道である。人生とはウソをつかずに誠実に真面目にコツコツと自分のワザを磨いて、感謝を胸に生きる道である。一点の曇りもあってはいけない。