百寿

近年、日本政府が100年時代と言い、日本人のほとんどが百歳まで生きる時代になって来ている。これからは老後の生き方が問題となって、その生き方に焦点が当てられるようになっている。百歳まで生きるには病氣や経済的問題を乗り越えて、離婚の危機や離婚後の生活をも突破して生きねばならない。あらゆる危機困難を 乗り越えてこの厳しい人生を百年生きるのは至難のワザと言えよう。私の師匠欧陽敏師母は百歳を優に越えて生きたのであった。私はこのことだけでも師母を尊敬する。その他にも、老後にドクター尤老師に先立たれて、尤氏長寿養生功を一人受け継いで、我々次世代の多くの弟子を育てたのである。百年生きるだけでも大変なことなのに、その上に尤氏長寿養生功を受け継いで、反乱を起こす者の離叛にも遭い、百寿を全うしたことは私の目標であり、目の前で見た奇跡でもあった。師母は百歳を越えてなお、若い道場生を勁空勁で投げ飛ばして訓練を授けていた。私も老年になった今、百歳まで生きて、若い道場生を勁空勁で投げ飛ばしてみたいという夢を抱いている。出来ることならば、百二十五歳まで生きて、得意な水泳を再開して、世界記録を破ってみたいとも思っている。もっとも、誰も未だ百二十五歳まで生きてはいないから、何をしても、世界一にはなってしまうだろうが、、。尤氏長寿養生功を修練するとこんなにも氣力が充実して、どんなことにでも挑戦しようとするチカラが腹の底から湧いてくるようになる。自分でも不思議なほどにやる氣で一杯になってくる。生きてさえいれば、何にでも挑戦することは可能である。人によってはそんなに長生きしたくないと言う者もいたが、私はその言葉を聞いて、あまり幸せでないからそんな言葉が出てくるのかもしれないと思ったものである。生き甲斐を感じて生きていると、ネガティヴな否定的な言葉は出て来ないものである。常にポジティブで明日に希望を持って、夜に眠りの床に就く。朝と夜の瞑想を怠らない。こんな生き方を師母は毎日していたのを私は間近で見ていた。師母のいない今は私が同じように朝晩瞑想を行ない、次世代の道場生に訓練を授けている。今も時に逆境に立たされる私ではあるが、私の指導員に助けられて乗り越えて、タヒチの道場生にも移住の書類に関して、助けられ百寿になる歩みを進めている。楽しく、嬉しく、幸せな毎日である。病氣やケガや困難に負けているヒマは無い。 そして尤氏長寿養生功の伝統の氣とワザは脈々と受け継がれている。早く百歳になってみたい。

免疫

 Immune system  と英語ではこの免疫を言うが、免疫に関係する病氣は結構いろいろある。最も身近にある病氣はなんと言っても、アレルギー性鼻炎などの免疫が敏感に働く為に起きる病氣だろう。アレルギー性鼻炎は私がアメリカでたくさんな患者が治療に来て軽快した病氣であった。花粉などのアレルゲンが原因で粘膜に付着して炎症を起こして頭痛、涙目、くしゃみ、皮膚炎などの不愉快な症状を引き起こす。一説に近年の社会環境、住宅環境が余りに清潔過ぎて、抗菌作用のあるものに囲まれて生活すると、免疫力が逆に低下して少しのアレルギーの原因となるアレルゲンに対して抵抗力が無くなって免疫がアレルゲンに過剰に反応してさまざまな症状を引き起こすと言われる。文明国で清潔な場所、アメリカや日本などで、患者数は非常に多い。逆に非衛生的な国には患者数は少ないようである。我々の幼少の頃にはアレルギー性鼻炎などは患者がいなかったように思われる。あまり衛生的で、抗菌仕様のものばかり使っていると免疫に関係する病氣は増えるだろう。たくさんのバイキンに囲まれることはどうかと思うが、抗菌作用ばかりに気を回すと逆にアレルギー性鼻炎などの免疫に関係する病氣にも囲まれてしまう。人間の身体には自然な成り行きで免疫が自然について免疫力を高めることも出来るのである。そこで、私がアレルギー性鼻炎を治療した時はたった三本の鍼を顔に打ち、二十分ほど置鍼をすると、症状は初回の治療でほとんど消失してあと五回ほど通ってもらうと完治した。私には尤氏長寿養生功で培った氣があって、その氣を使い、鼻の近辺に溜まっていた邪気、氣の流れが詰まったところに私の氣を通わせてその詰まりを流してあげることで、症状が改善し、免疫を過不足無く、バランスが良くなることで病氣が治るのである。このように東洋医学では、身体の中の不均衡を均衡を保ち直して、バランスを取ることで人間の自然治癒力と回復力を旺盛にすると人間の病氣が治ると説明されている。つまり、東洋医学の医師が治しているのではなく、患者自身の自然治癒力回復力が治している、と言うことになる。患者が元々持っているチカラを最大限に発揮出来るように身体を整えることが東洋医学の医師の仕事なのである。とすれば、毎日、自然治癒力回復力が最大限に発揮するように身体を整えて置くことが重要になるだろう。それは自分自身で出来る。その方法が尤氏長寿養生功などの氣功なのである。だから、尤氏長寿養生功を修練する者は、例え、病氣になったとしても早く回復して重篤になることはない。ケガをしても早く回復する。私自身、二回も死の危険の伴なう病氣になって集中治療室では周りの患者が皆亡くなったが、私一人が生還して今に至っている。左手首の骨を二本同時に骨折して、医者にも行かずにいたら、勝手に骨が再生して二本の骨はトカゲの尻尾のように元通りに生えて来た。人間の持つ生命力、回復力と生来持っている身体の設計図には驚嘆したものだった。私が尤氏長寿養生功を修練していなかったならば、今頃、何処かの墓地に埋められていただろう。私は尤氏長寿養生功に命を助けられた。尤氏長寿養生功は私の命の恩人である。恩人にはその恩に報わねばならない。私が日本で、タヒチで、尤氏長寿養生功を拡めることは、世界にその名を轟かせることは、私にとってはその恩を返すことでもあるのだ。

補と瀉

補瀉は鍼灸に於いては、氣を患者に対して患者の氣が不足している時に補うことを補と言い、余りある時には瀉することを瀉と呼ぶ。氣を過不足無く、経絡内を流れるようにする鍼灸師の技術を指す専門用語である。が、実際にこの技術を実践している鍼灸師は少ない。単に鍼を打ってそのままにする者が多い。氣をコントロールする技術を習っていないからだ。鍼灸学校へ行って最初に習うことは私が行った時もそうであった。大学に鍼灸の氣の講義で、氣が経絡を流れて、氣血の滞りが東洋医学の病氣の原因であることは習うが、氣については何も教えてくれない。誰も見たことも無いものについて教えている。私がサンフランシスコの鍼灸大学に行った時もそうだった。卒業して中医の免許を取った後に尤氏長寿養生功に出会いがあって、初めて、氣を私の目で見て、その存在を目の当たりにしたのである。氣は実際には存在して氣が人間の身体を動かして投げ飛ばすことも可能であった。衝撃的な出会いであった。それからは、寝食を忘れて訓練研究した。三十年経った今では、鍼を打つ時には補と瀉は簡単にできるようになったのである。使うことも出来ない鍼灸師や武術家武道家がたくさんいる。私は鍼を使わなくても、補と瀉をできるようになっている。鍼は道具であって、氣功を充分に学ぶと道具を使わなくても、治療が出来てしまう。東洋医学では、氣の方が道具である鍼よりも重要で、氣が無ければ、治療は出来ないものであることを私は尤氏長寿養生功を学んで知ったのである。それほどに氣は東洋医学の根源の核となるものなのである。氣を使えるようになるには、氣功、尤氏長寿養生功を長年修練しなければならない。が、一旦習ってしまえば、簡単にいつどんな時でも使えるようになる。氣を知らない使えない東洋医学の治療師や武術家武道家は発声法を知らない使えない歌手のようなものである。重要な基礎が無い者が治療して、武術武道を教えるようなものである。氣を使えるまでになるには、相当な訓練と時間が必要で達人の域に達した者だけが出来る世界であろう。私の経験では、一心不乱に狂ったように毎日針の穴を通るような訓練をして初めて出来るようになる。そのところまで昇華されたワザは日本だけでなく、世界に通用するレベルとなり、世界の武術家武道家が大いに興味を持って、あちらの方から連絡をして来て、習いたい、と言ってくるものである。今、タヒチの住民で武術武道に携わる者やヨガをしている者から Face Book  で連絡があり、私はこれらの人々と毎回テレビ電話で尤氏長寿養生功の概要を説明しているところである。少しずつ世界に拡まっている。

生き甲斐と幸せの共有

生き甲斐を持つことは人生を心豊かに生きる大きな手段となる。そしてその生き甲斐が健康や長寿に役立つものであれば、さらにもっと積極的に関わることで老後には仲間も増えて、楽しく幸せに生きる為の潤滑油となる。私の尤氏長寿養生功の教授は私の老後の生き甲斐となっている。そして今、私の生き甲斐は、特に指導員たちとはこの生き甲斐を一緒に共有している。尤氏長寿養生功の基礎訓練とワザの共有は私と彼らが楽しく幸せに生きる術となっているのである。生き甲斐の共有は幸せの共有でもある。尤氏長寿養生功は武術であって、医療でもあり、生き甲斐となり、幸せでもある。人類にとって夢のような老後の福音となる。そうであるならば、尤氏長寿養生功を修練しない手はないだろう。長く関われば関わるほど効果が大きい。今私は日本を飛び出して世界に尤氏長寿養生功を拡めることになっている。以上述べた理由によって、その生き甲斐を拡め世界の人々に訴える意味は非常に大きい。

願わくは、一人でも多くの人が尤氏長寿養生功を訓練して生き甲斐を持ち、幸せな人生を送っていただきたい。中国人の健康と長寿を守った健康法が中国人日本人の人生を豊かにして、世界の人々の人生を豊かにする。

勁と空勁

勁は中国内家拳太極拳意拳などで有名だが、日本の合気道は勁の武道であると私は認識している。もちろん、修行の浅い者は勁を使うことは出来ない。勁を使おうとすれば、師範クラスにまで長年の修行訓練が必要だ。空勁はその上の領域にあるだろう。そしてもちろん、勁を使うことが目標で、訓練のシステムとしての修行法が存在するだろうが、空勁の修行法が存在する武道は無いと思う。尤氏養生功は今は武術武道ではないが、空勁への修行法は厳然として存在する。空勁は勁力がついてから修行するものであるが、尤氏長寿養生功では、短期間のあいだに勁は使えるようになる。他の武道では、空勁は生きているあいだに出来るようになるかならないか分からぬほどに伝説的な神秘的なワザであると思われているけれども、尤氏長寿養生功に於いては、ごく当たり前に毎回の練習に空勁は使われて、練習の自然な一部として日常的に私などは使っている。教えられたように教えて、私なりに工夫を加えて、空勁を次世代に伝えているのである。私は三十年かかって、空勁をマスターしたけども、私の指導員たちは十年、新規道場生で私が帰国して教えた者は二、三年で勁空勁が出来るようになっている。修行の期間が短くなって来ている。彼らが熱心なのがその理由であるのはもちろんのことだが、私の方も教えることに情熱を燃やしているからである。与える側と与えられる側が同じ目的を持ってゴールを目指す。伝統のワザは情熱を伴って綿々と伝えられて行く。

勁空勁の手順

初回の最初に勁空勁を使おうとする時に一番重要なことは、相手の者自身が自分の氣を感じることである。自分の氣を感じることが氣功の世界に入る条件である。先ず、自分の氣を感じなければ、こちらは何も出来ないし何も起きない。外国語の英語を習うにアルファベットを知らないと英語の勉強が出来ない理屈と同じである。つまり勁空勁を充分に相手に使いこなせるまでに英語の単語を覚えて簡単なフレーズを覚えてから、会話ができるようなものである。数年間の訓練をすっ飛ばして直ちに会話をするようなもので、氣功の基礎訓練をしないで、上級者のワザをするようなものである。であるから、氣功をしたことも無い、氣功を見た事すらない者に勁空勁を使おうとすることは至難のワザで、ある意味無謀なことである。最近の私は相手が自分の氣を感じることが出来れば、勁空勁を使うことができるようになっている。成功率は百パーセントを超えるようになった。氣というものが存在することの証明の為にすぐに初心者に勁空勁を積極的に使っている。私しかそんなことはしないだろう。私は初心者に勁空勁を使おうとして何回も失敗した。失敗の数だけその経験を生かしてワザができるようになって行く。

氣とは?

氣については、さまざまな説があり、今のところ有力な説はない。氣は中国の古代哲学の陰陽五行説に基づいて中国医学の根幹を成す考え方から鍼灸の治療をする薬のような役割を果たすエネルギーとして何千年と語り継がれて実践されている。最近では WHO, 世界保健機関で医療として認められている。アメリカでは保険が効くようにもなっている。私が中医になった時には保険は適用されていなかった。時代は変わったけども、未だに氣の正体は解明されていない。解明されていないが、氣の働きは絶大で、さまざまな治療に用いられる。中国の氣功には数千種類の氣功があり、玉石混交の様相を見せている。中には遠隔治療で何でも治すと豪語して法外な治療費を払わせる医療従事者の資格も持たずに暗躍する氣功師もいる。私のアメリカ在住の日本人の娘さんが小児ガンになって、理性を失った親たちに日本から遠隔で氣を送って治療する日本人氣功師に高い治療費を払って、結局奇跡は起きずに娘さんは死亡した。私は氣功に奇跡を求めても、何でも治せるものではないと言っても聴いてはもらえ無かった。患者の苦しみに乗じて氣功の効果を吹聴してカネを取る。コミュニケーションも取れない少女をどうやって治療出来るか、そして末期ガンの患者を氣功の氣だけでどう治療するか?私にはとても懐疑的であった。人間は愛する身内が末期の病氣になった時に理性を失った行動をするのは理解出来るが、私にも治療の依頼があったけれども、私にはどうすることも今の段階では出来ないと言って、治療は断った。この状況下で更に無駄な治療費を払って欲しく無かったからだ。日本とアメリカの空間を超えて氣のみで治療は、ことこの少女には出来ないと私は思っていたのである。医療従事者でもない者がどんな病氣も治せる奇跡の氣功師と宣伝してカネを取る。こんな行為は氣功を侮辱することになる。私は三十年の研究の末に氣の正体を暗黒エネルギーと暗黒物質の二種類のエネルギーであると仮説を立てた。暗黒エネルギーも暗黒物質も計測不能で、現在の科学でも良く分かっていない。目に見えない。そして星の誕生と破壊死滅に関与して目に見える物質に影響を与える。まさに氣である。氣の働きも肉体の再生に寄与する。我々人間は星である。無数の星も世界中の人間も同じエネルギーを持つ。生も死も氣によって決まる。氣が集まるところに誕生があり、氣が散じると死滅する。暗黒物質は集まり、星を作って、暗黒エネルギーが物質を拡散させて星をついに死滅させる。氣が暗黒エネルギーで、暗黒物質である、と断言しているのは今のところ、私だけだが、もう少しすると科学が進んで、私の仮説の真偽が明らかになる。これも私の心をワクワクさせることで、私の存命中にハッキリさせていただきたい。