報い

報いなどという言葉を使えば、古臭く、オドロオドロしく聞こえるだろうが、私が尤氏長寿養生功を妥協無くして猛特訓を完了して日本のテレビ局を通してその比類のない勁空勁を披露して、また別の局でも氣の治療で関節リュウマチ突発性難聴などを即治させる番組が放送された後に、良い報いがあったのである。その後の日本では全てのことがうまくいった。とても幸せになった。そんな流れの中で師母がご病気になって、帰って来い!との連絡受けて日本を去らねばならなくなり、ある者に道場を任せたことが大失策となってしまった。この者が私の名を使って道場生から借金したり、私を御簾のうちに隠して自分の権力を集中させて勝手なことをし始め、実力の無さを大本教の教えで埋めて誤魔化すようになった。神さまの名を利用して自分のカリスマ性を増す、こんなことをすれば、私に破門されて当然である。良因良果、悪因悪果である。良いことを成せば良いことが起き、悪いことをすれば悪いことが起きる。これは真理である。この者が今では、神道の中で伝わる氣の武術を再興して自分の氣と融合して新しい武術を創立したと言っているのであるが、神さまの名を利用して我欲の実現をしようとする行為が悪因となって、悪果となることを知らないようである。善悪の判断が出来ない人間であるようだ。その報いは必ず受ける。

I shall return 、敵対勢力

 この言葉は、アメリカの陸軍大将のマッカーサーがフィリピンに於いて日本の軍隊に散々負かされてフィリピンから脱出した時に言った言葉であったが、私も同じことを言おう。私は私の敵対勢力に負けたから日本を出るのでは無い。これは撤退では無い。二、三私の未来に向けての本拠地を考えたが、いろいろと熟考の上に熟考を重ねて決定してタヒチを選んだのであった。

I shall return! 私はタヒチで心身ともに再生してまた、日本に戻って来る。太田氣功道場のモットーに癒しと再生がある。タヒチ大自然の下でまた朝晩の瞑想と毎日のリハビリで身心を癒して再生を図って日本に戻って来る。我欲私欲で私と敵対した者たちにさらなる鉄槌を下す為に戻って来る。私と彼らのどちらに正義があるのだろうか?彼らの言い訳の中で何処に正義があるのであろうか?彼らには大義名分が無い。大義名分が私にある限り、私は負けない!私にもっとチカラをつけて世界に尤氏長寿養生功を伝播した勢いで、私は戻って来る。

    I shall return!  待っていてもらいたい。

手段と目的

人生において、何かを成し遂げようとする時には目的をはっきりさせて目的達成の為に手段がいるだろう。尤氏長寿養生功の目的が健康長寿であることを知らぬ者はいないはずである。しかし、手段として我々の持つ勁空勁があまりに素晴らしいことに驚き、目的が手段の勁空勁になり、我欲からカネ儲けと売名の目的達成の行為となって、ニセだろうが何だろうが、チカラ無くても、正統性無くとも、焦ってとにかくニセ道場を開けてしまえ!と破れかぶれの愚行を犯したのである。正統性のないことを誤魔化す為にハナクソ程度の武術歴をたいそうに大げさに誇大広告を自称して日本の神道に伝わる氣の武術と融合して自分が考案した武術などなど無理のある理屈をこねて和の氣の武道と言っている。もう一人は大瞑想家の総大将とまたもや自称して、私の糾弾の後では、地下に潜って深く静かに活動しているようである。こういう輩を社会的に抹殺するには、法的に処理して葬らないといけないだろう。放っておけば、また雑草が地面に根をはって土地が荒れるように日本の社会を荒らしてしまう。結構な人数の日本人が騙されてしまう。こんな自己宣伝の者をドクター尤老師は見たくもないだろう。師母がご存命なら、私に命令するはずである。「やっつけてしまえ!」と。私の今の尤氏長寿養生功を教授する目的は私の教わった通りの健康長寿ではあるが、日本と全世界に向ける展開は、その健康長寿に加えて、私の東洋医学の治療経験から創立した太田式氣功整体と正統性のある勁空勁と基本訓練を手段として世界中の人々にケガや病気から速やかに回復してもらい、健康長寿となって幸せな生活と人生を送ってもらうという目的、目標なのである。私欲、我欲のカネ儲けや自己宣伝では無いのである。良因良果となることに絶えず私は氣を配っている。

白湯と飲茶

練習の後の飲茶で私の身体は作られた。当時の中華料理は中国の元が驚くほど安く、中華料理はとても安かった。中華料理は、私にとって値段的にも欠かせないものだった。サンフランシスコの中華はレベルが高くてどの中華飯店に行っても、美味しくて

当たり外れが無い。レストランに師母が入って行くと、まるで店のオーナーのように店員さんに指示を与えて飲茶を持って来させる。私はいつも師母のとなりに座って、食べろ!食べろ!と言う料理をパクついていた。練習の後は腹が減る。いつだったか、食後に出たアイスクリームを食べようとしたら、急に師母が手を伸ばしてそのアイスクリームを取って自分で食べてしまった。冷たいものは氣功をする者には毒だ、と言って私を睨むのであった。練習中にはどんなに大汗をかいても、温かい白湯を飲ませられた。中国の気候のせいもあって「冷え」は中国医学では大敵なのだ。こうして白湯と飲茶は私の強力な味方となっていた。

相撲と尤氏長寿養生功

相撲が相手が押したら、押せ!引いたら、押せ!とラグビーのように何があっても、前に、ということでその為の訓練をするが、意拳から派生した尤氏長寿養生功も押すことが最初の訓練で、私は壁を押せ!と言われて、一年半ほど壁を毎日押し続けた。その後に先輩達の両肩をまた一年半ほど押していた。その頃には私の肩の筋肉と僧帽筋は相撲取りのような体型になって筋肉は盛り上がって、当時の舞の海という相撲の力士と似たような身体になっていた。私は身長が170センチ、体重は90キロを超えていたのである。相撲の力士がするように足腰のチカラを上半身の腕に伝えて前に押し出す。これが、三年経って出来るようになって初めて師母を押すことになる。最初のうちは、師母の氣を感じることは無かった。私は氣に鈍感だった。それでも先輩達を押すことは辞めずにチカラいっぱい倒れる寸前まで押し続けたのである。ある日突然師母の氣を感じて何だか分からないチカラで床に倒されていた。今の私の道場ではこのような辛い訓練をさせることはないが、氣を早く感じて私との勁空勁を交流できるように配慮している。尤氏長寿養生功が相撲と同じ訓練をすることを知る者は少ない。脚と腰のチカラを上半身に伝えることが目的である。相撲の力士が尤氏長寿養生功を訓練したら、きっとこの氣功の上達は早いことになるだろう。

究極の武術武道

全ての人間の身体活動の源が、氣であることを理解して武術武道に携わっている者には、武術武道を修行する先に氣が存在していることが分かるはずである。その意味では、尤氏長寿養生功が武術武道の極にあるもの、と言えるだろう。だから、私の勁空勁を何処かで見た者は尤氏のまゆまゆまゆ勁空勁を習得しようとやって来る。その中には、一時期私が三百人以上の道場生がいるのを見て、これは儲かると思ってカネ儲けをしようと自分の道場を開けた者がいたのである。早く勁空勁のワザだけ習い、基本訓練もそこそこにムリムリ自分を総師範に押し上げてニセの尤氏長寿養生功の一派の新武道などとウソブイている。また、瞑想の何たることも分からずに、瞑想の大家として道場を開けた者も出た。いやはや、人間の強欲と自己顕示欲の売名行為には、私は何とすることも出来ない。こんなシロモノを究極と思っているのであろうか?今年には尤氏長寿養生功の英文版をインターネット上で販売する計画がある。太田氣功道場からも本を出す予定でもある。こうして、日本と全世界に向けてドクター尤老師と師母の業績を知らしめて、文革で辱められた名前、名誉を回復する。尤氏長寿養生功のホンモノの勁空勁を日本で教授する者は唯一私だけのはずである。生まれつきの能力で勁空勁が出来たとか、日本の神道に伝わる氣の武術と融合させたと言う説明には相当な無理がある。こんな自己宣伝には眉に唾をつけて聴くべきである。こんなキワモノを信じてはいけない。

アイタペアペア

ポリネシア語で、問題無い、大丈夫、と言う意味合いの言葉で、さすが南洋の島の文化で、どんな状況でも生き抜ける独特のポリネシア文化を表している言葉ではないかと私には思われる。一日の中で交わされる最後の締めくくりがこの「アイタペアペア」である。ポリネシア語の言語は日本語のように母音を良く使うので日本人にはすぐに覚えられる。フランス語は発音難しく、文法が複雑で、私がタヒチに住めば、フランス語よりもポリネシア語を先に覚えてしまうかも知れない。もしそうなってしまっても、アイタペアペアである。