ヒロシマ其の二

八月の原爆の月なので、もうひとつの奇蹟を紹介する。サンフランシスコでは世界中日本中から人は集まり、さまざまな出会いがある。当時私が就職した会社の上司が私が武道の五段位を持つことに興味を持って、就職は成功した。私が体育会系出身の武道家と勘違いしたらしい。今となっては騙したようだが、私は四年天皇一年奴隷などと言って序列を勝手につける大学武道の体育会出身ではない。そんなものは信じないし、興味もない。

そんな封建的な序列をつけなくても強くなれる、技も切れるようになる、頭と人格の悪い指導者はそんなシステムを作らねば自分の権威を保てないので、四年天皇などいうバカな序列を勝手に作っている。もっとも師匠が連れて来た後輩は私をからかって国士舘大の空手部に見えると言ってはいたが、それはともかく、私の上司は広島出身で、中学生の時に被爆したと言う。

あの大豆の粉の老人のずっと前の話である。

この上司は満員の電車の中で原爆の瞬間に出合った。電車ごと倒されて、人混みの中挟まれて、助かった。何の傷もない。この上司は私を可愛いがってくれて、私の生活はやっと安定した。サラリーマンということである。武道の教授と仕事は両立した。借りていたコンドミニアムにはプールがあったので、夏場は日が落ちないので、毎日泳ぎ、余りに日焼けして、どこかバケーションに行ってるのか、お前は、と聞かれた時もある。すぐ泳ぎは辞めた。この上司に感謝して、私は若く体力も三人前あったので、一生懸命働いて家も購入した。