法と犯罪

犯罪を犯して、法律に引っかからなければ、犯罪とならないのであろうか?もしそんなことをしたとしたら、よっぽど、練りに練った犯罪であるに違いない。法律で罪に問えないとすれば、他にも罪に問う方法はないか?私は尤氏意拳の姜吉隆の罪を告発糾弾しているのであるが、雲隠れしているので、暖簾に腕押しで手ごたえがない。ジッと沈黙を守って、身を潜めている。しかし、そんな逃げ腰の身にも天罰はすでに降りて来ている。元道場生は全員心が離れて誰もついては行っていない。私は姜吉隆を破門した。以前関わった人間はすでに去った。親戚にも見放された。今では日本拳法の落ちこぼれ達に支えられているようであるが、新規の生徒はおそらく集まってはいないだろう。経済的にも困窮して道場費を払うだけでも精いっぱいのはずだ。見栄を張るオトコだから、銀座や六本木界隈の場所を借りねば気がすまない。犯罪を犯した者は法律が取りしまらなくとも、自業自得で天罰が落ちることになっている。ウソと虚偽で作った赤恥の武術団体に入会する者はいない。日本人はスジを通すことに価値を見いだす民族である。師匠を裏切り、道場生を騙す人間からは人心が離れるものである。何も日本人に限らずとも、人間の持つ良心の問題であろう。良心と誇りを捨てた者には誰も集まりはしない。見向きもしない。本人は法律に引っかかることのないような策を考えてそんな恥ある行為をしてうまくいったと思っているだろうが、そうは問屋がおろさない。寄付と言う言葉でカネを集めても罪に問えないことを知って行動に移したと思われる。善良な人間をペテンにかけたオトコは法が裁かずとも、すでに裁かれている。この先、死ぬまで汚名を引きずり生きねばならない。ウソの武術もまた汚名の恥の武道のレッテルを貼られて運営しなければならない。自業自得の罰が待っている。自分の身をウソと虚偽で飾れば、相応の結果で終わることを知らないようだ。