気づきと学び

明日退院を前に日本代表戦を待つ間の夜中にこれを書いて真理を述べよう。退院を控えて手術の傷口が急に痛くなり、痛み止めのピルをもらい、飲んではみたものの今度は脚が大根のように太く浮腫んでパンパンに固くなっている。やれやれという気持ちで脚を上げて寝て固い脚を何時間も揉んでみた。ウトウトして起きてみたら、なんとあれだけ太く浮腫んで固かったふくらはぎは柔らかくフニャフニャになって痛みが無い。トイレに行くが、普通に歩ける。また奇跡が起きてしまった。そこでまた考えた。人間が病いなどの逆境に置かれる時には、その哲学的、真理上の意味は気づきと学びであって、悲観することではないのだ、と。今や私はリハビリの先生以上に私の脚の病いとリハビリの大先生になってしまった。浮腫みと痛みを最短の時間で取り除く方法を開発してしまった。そして今回の内側の動脈の手術などの外科的な分野は外科医に任せねばならないが、自然療法とリハビリで外科的処置に変わりばえしない効果が出ることを確認した。輸血を伴う八時間に及ぶ手術を乗り越えて計十七センチになった傷口の滲出液は多量にでて、昨日の回診ではあれだけ濡れたガーゼを取り替えることは無かった。傷口は乾いていた。今、痛みと浮腫み無く、普通に杖も使わず歩けるのだ。担当の先生には大きな感謝で一杯だが、本当の意味での医師は自分である。あれだけの痛みと浮腫み、歩きづらさを治したのは私自身である。自然治癒力を引き出すのは私なのだ。それは自分の問題で医師の仕事ではない。私は気づき、そして、同じ問題を抱える患者には、これから治療とアドバイスも出来る。人生は気づきと学びの連続だ。この経験は私の人生をもっと幸せなものにしてくれる。頭はスッキリと自信を取り戻して将来への不安は一抹だに無い。新しい真理を体験して学んだのだ。さあ、サッカーを見て興奮しよう。眠くなったら、翌朝までグッスリだ。オーレー、オレオレオレー。