昨夜のBS放送で、野球の長嶋茂雄の引退の特集をしていて、何か氣功と結びつくことはないかと思って、興味深く見ていたのである。感覚感性のスポーツ選手である、とテレビ局のプロデューサーから聞いてはいたが、果たしてその通りで、面白い練習をしていたと言う。バットを振って自分の調子を探る時には、畳の部屋で灯りを全て消して真っ暗なところで何時間も一心にバットを振ると、部屋の新しい畳が破れてささくれ立って、ボロボロになっていたと言うのだ。そのバットを振る音に集中して、調子を整えていたのである。このことは、私には同様な訓練で震脚の音を頼りに自分の調子を探っていた経験がある。師母は私の震脚の音を聞いて私のレベルを知り、達してない場合は私を叱責して私にまだまだ、と暗にもっと瞑想しろ!と言っていたのである。今、私が指導員と道場生を指導する時に彼らの震脚の音を聞いて重くなった。上手くなった。との基準にしているのである。震脚の音を聞いただけで、上級のレベルにあるかどうかはすぐに把握出来る。上級のレベルにある者の震脚の音は人間の肉体を使って出せる音ではない、と初めて訓練を経験する初心者には怖ろしい音に聞こえる。そして、天才と言われるけども、他人は天才と言うが、みんなは知らない、天才が初めから存在するわけではない、たゆまない努力が天才を作る。また、孤独を恐れる者は大成しない、と。これらの言葉は私の訓練で実地に体験している。