共通点

キッパリ道場の山師花緒里と尤氏意拳のカネだよ吉隆の両名にはその特徴において、全く似ている共通点がある。まず、本名を言わない。次に私と指導員を手玉に取るように都合の悪いことには口をつぐみ、自分の意見は無理に通して誠意を見せろ、と言い、自分の都合の良い時にサッサと自分の道場を実力も無いのに開いて両名総大将総師範と自称する。総、という字が大好きなようである。資格と実力が無いので自分で総大将、総師範、と言わないと誰にも相手にされないから、自称するしか無いのである。それを恥とも思わない。とんだ師範たちである。両名共に自己顕示欲の固まりで、自分が大将になって人を集めてカネを儲けたい。山師とカネだ、カネだよの心を持っている。そして、私の受け売り、マネをしている。武術の分野と瞑想の分野に別れているのであるが、本質は同じで、私の言っていたこと、やっていたことの二番煎じの繰り返しで、写真を見ても、チカラ、実力の無いのは一目瞭然である。私の目だけはごまかすことは出来ない。自分が、自分が、とチカラも無いのにしゃしゃり出ると、いづれは私でなくとも、モグラ叩きのような扱いを受けて、へっこまされるだろう。分相応の扱いを受ける。世の中は良く出来ている。他人にひどいことをすれば、同じこと、いや、それ以上のことを自分がされてしまう。自業自得となる。