日々是幸日

私が作った言葉である。日々是好日と言うのは聞いたことがあるだろうと思う。私の場合、好い日を超えている。幸せな日である。未だ、ケガでダメージを受けた左膝、脚、股関節のしびれ痛みはあり、左手首大骨折の後のしびれ痛みがあって、拘縮した左肩の動きは制限されている。完全な回復にはほど遠いが、低い台からの立ち座りとイボイボのプレートの踏みつけで脚の筋肉が大きくなって、膝は良く曲がり、低い台からの立ち座りが簡単になった。ちょっと前までの自分の身体が元に戻ってきている。拘縮した肩は動きは大きくなって来て、少し前の状態に比べれば、リハビリの先生が見たら、声を上げて驚くだろう。完璧ではないにしても、自分の思うように身体が動いてくれる。私の人生が思う方向に向きを変えて、進んでいることに嬉しく、楽しんで、幸せな毎日なのである。脚腰に筋肉がついてくると、上半身の筋肉もそれにつれて大きくなって、少し太り気味だった身体の余分な脂肪は落ちて体型が良くなって、とても七十のジーさんの身体ではない。精神はますます冴えて、どんなモノへの挑戦する意欲は湧いてきて、体調の感覚は二十代か三十代である。身体の筋肉に集中して筋肉を固めて意識的に強く硬くすると、何処の筋肉も硬くなって、まるで鋼, 鉄のような硬さになっている。歩く足取りにも、チカラが入り、杖をついてはいるが、歩くスピードも早くなっている。ケガや病氣を自分のチカラで治すことは幸せなことなのだ。食べ物に気をつけて、運動をして、リハビリに精を出し、瞑想する。意識的に幸せになろうと思ってしているのではない。リハビリをして、運動をして、瞑想すると結果が出て来て自然と幸せになってくる。まるで、何かのチカラが後押ししてくれるように、全て良い方向に向かって進んでいる状況に満足している自分を幸せに思う。