共生

自然界の植物、動物の世界で、個体が生き延びるには共に助け合って生きていく方が生きるチャンスは大きくなる。それは人間の世界にも当てはまる。何度も共生を呼びかけたのに、一人自分の欲望野心を達成する為に一人自分のチカラを過信してニセの道場を開いた者たちが太田氣功道場から出てしまい、各々、ウソ武術、ニセ瞑想の自分の道場を開いて悦に入っている。虚勢と肩意地張ってフラフラ一人生きる姿を見ると憐れでしょうがない。そして情け無い。みんなで楽しく、助け合って生きていたならば、もっと楽に楽しく生きられたはずである。それを何故に一人自分が一番、と言う虚構を作らねばならなかったのであろうか?私には到底理解出来ない心理である。人間が幸せに生きようと思えば、共に助け合って生きていく他にないことは自明の理である。共に生きる、共生するしか無いと私には思われる。尤氏長寿養生功の集団から、夜逃げでもするように抜け出してチカラの無い自分の団体を立ち上げて虚勢を張る。氣功教授を自分の仕事にしたければ、チカラが満ちた時には、道場開設を促せられるであろう。その時まで待てないようだ。ルールと秩序を破ってまでも、さもしい自分の野望を夢と呼び、破門者の列にその名を刻む。私は共生を大事にしている。共生こそが、個人の得意な分野を尤氏長寿養生功発展の為に活かしてもらい日本全国に尤氏長寿養生功の氣のチカラを轟かせてもらいたい。すでに、日本の地方都市に太田氣功道場の下部組織が出来つつある。そして世界に向けるひとつの拠点として、タヒチにも将来の組織は小さいながらも存在している。今回、本の出版が予定されており、共生によって、尤氏長寿養生功の英文版が手に入り、英語とフランス語に翻訳されて、全世界に尤氏長寿養生功を拡める手段が出来る。師母の家族がまだ存命しており、助言もいただいている。共生こそが人間社会の基本的な生きていく、主義主張の異なる生い立ち生まれ育った環境の違いを、人種国境を越えて共有することに共生が必要なことは間違い無い。