逃げも隠れもする宗家総師範
道場への寄付という名目と私の名を使って借金したカネでドイツの高級車に
モデルのオンナを乗せて贅沢に使った
使途不明金を全額返済せよとの警告に
対して、政治家ならば、逃げも隠れも致しませんと言うが、自称尤氏意拳の宗家創始総師範である神田真澄別名神田吉隆本名姜吉隆は、その後逃げて隠れて何の音沙汰もない。自分に何の正統性と
正当性の論理と実証がないのを知ってか、言われてごもっともと言うことなのか、一切の反論もない。それならば
返済するまで追及するしかない。
カネの不始末を自分のウソと虚偽の言葉で何百万ものカネを供出させて、私の名を使った借金をしたならば、これは
立派な詐欺である。詐欺師が新しい武術を立ち上げて、内容は日本拳法を
尤氏意拳と自称している。詐欺師が
こんな武術を立ち上げているならば、
これは詐欺ではないと誰が言えよう。
一時期師匠であった私から見れば、
これは立派な詐欺である。立派な武術家と称する者が他人の名で借金をするであろうか?詐欺をするであろうか?
道場への寄付として集めたカネでドイツの高級車を乗り回し、助手席にモデルのオンナを乗せるであろうか?それ以来、
逃げも隠れもしている自称尤氏意拳の
宗家創始総師範の立派な行状ではある。
志
若い頃、精神が清く自分にお金があまり無い時には、貧しくとも理想の姿を求めて奔走するが、社会に出て荒波に揉まれて自分の生活にお金が必要になると
理想や志はどうでも良くなり、現実的になることは当たり前のようである。しかし、他人がそうしているからと言って、
自分もそうなって当然に思う必要はない。理想や志を持ち続けることも可能である。自分が大好きなこと、ものを
若い頃からずっとして社会人になっても
老年になっても志を突き通して自分の理想とするものを構築することは貴重で
幸せなことである。例え、貧しくとも
志を高くカネの誘惑に負けず、若い頃思い描いた理想の姿を追い求める。
この人生はその人を純粋にして、若くする。逆に理想と志を捨て去り、カネを
追い求めて社会の塵に汚れてしまうと
あれほど純粋だった心は汚れて顔もうす汚れて顔も身体も醜くなってしまう。
現実と理想を天秤にかけて、どうしても
現実のウエイトが大きくなるのであろう。いつも僭越だが、私のケースを言おう。大学の時に武道に出会いがあり、
子どもの頃から憧れて自分の心身共に
鍛えたいと思っていたので大学が全共闘の活動の為閉鎖されていた為に何もする事もない私には武道を練習するには好都合なことであった。結果アメリカに行くことになり、単身カリフォルニアの
学生の町バークレーに行って武道の教授は始まった。学生の町だから月謝は
たくさん取れない。当然貧乏生活となる。そんな時は余計に精神は強く純粋になって行動にも日本人であることを意識して大和魂を胸に恥な行為はしないように気をつけた。昇級試験の料金には手をつけずに全て本部に送った。周りがほとんど学生で貧乏は気にならなかった。
少しづつでも生徒は増えてきたが、月謝は高くは出来ない。
学生気分が抜けない。ある日日本から来た男と話をしてもビジネスの話はあまりに生々しく、カネを儲けることしか頭に無くて、すごく汚ない感じがした。
永住権目当てに結婚を申し込まれて不覚にも結婚してからはそんな
学生気分には慣れない。仕事が必要だ。
日系の食品会社のセールスマンになって
やっと生活は落ち着き武道の指導と生活の両立は可能となったがもっと技の向上を目指して本部に行くことになることになった。拳法の創立者が死亡したことも
日本の本部行きに拍車をかけた。生活の安定を捨てて日本に行くことはもちろん
カネのことしか頭にない妻には反対された。日本の本部ではさまざまな先生と
直の交流があって、私の武道への好奇心は満足した。本部での生活は今までと違い、武道を指導する側の実体がまざまざと見てしまうことになる。私の仕事の成果は
上司に横取りされて、私の直情的な進言は無視されて、雑でバカな、親玉に取り付く海外の人間の一方的な意見ばかり取り入れる不条理な武道本部に失望して
アメリカに戻るのは当然なことだった。
次の仕事もないままにアメリカに戻った私にまた経済的な負担が肩にのしかかって、武道との両立を図るが、上手くいかずに妻との折り合いがますます悪くなってとうとう離婚となった。私の武道への想いと妻のカネへの想いが対立したのだった。子どもを小さな頃からカネの儲かる
歌手や医者にしようとヤッキになる姿には女性の魅力は何もないように見えた。
あまりの理想と現実の違いであったろうか。日本で出会った先生から教わった
東洋医学に傾倒していた私は本格的に
東洋医学を目指すようになった。鍼灸学校に入学した私は若い頃以上に一心不乱に勉強した。試験に合格した私は韓国の武術にまで理想の武道を求めたが、ついに尤氏長寿養生功と出会う。理想の師を見つけた私は全身全霊で修練した。
師母は私の期待を裏切らず、私は師母の期待に応えた。私の志はこの歳になって、ようやく実を結んだのである。
尤氏長寿養生功は瞑想主体の氣功では
あるが、内容は完全無欠の最強の中国武術である。以前の恥なカネとモデルコンプレックスの師範を破門した今、私は
今、理想の武術団体運営を指導員と共に目指している。これだけの右往曲折があった私は今この上ない喜びと幸せを感じている。
志と理想は一生涯持つべきもので、
諦めてはいけないものであった。
希望
日本の建築家に内臓のほとんど心臓と腸を残して脾臓膵臓胆嚢などを手術で取って、七十を超えて
すごく元気に仕事をバリバリこなす人がいる。希望があるから出来るのだと豪語する。人生に希望を失くすと死期を早める。生きる上のハリと希望は大事なものだ。私もひざを壊して左手首を大骨折して身体障害者になっているが、尤氏長寿養生功を教授して、歩くにヨロヨロで杖がなければ危なっかしい。しかし、希望で満ち溢れている。昨日も練習で前受け身を決行して、意気は上がっている。
技も前からあたためていた扇子を使った技を試して成功した。アイデアは毎日のように湧いてくる。氣功のことを毎日
考えている。楽しくてしょうがない。
老年になって、同年代の人は完全にリタイアしておじいちゃんになっているが、
私はいまだに現役である。私の息子のような道場生を思う存分投げ飛ばし、壁に向かって飛ばしている。ますます元気で
強くなっている。練習後のビールや食事がとても美味しい。その時の会話も、
話題も、豊富で若い。スマホの使い方を習って、日常生活に活かす。道場生は
私の友達のように感じる。師匠と弟子の垣根は無い。来年のタヒチ、その後の
海外への講習会開催の希望も生まれて
心はワクワクして冗談は尽きない。
道場生をからかって、笑いは絶えない。
練習中も氣で全員をコントロールして
みんなの反応があまりに面白く、大笑いをする。これじゃあ百まで生きるのは間違いないな、と言ってまた笑う。楽しくてしょうがない。お互い無くてはならない存在になっている。みんなで同じ希望を共有する。その希望を持って、私も
道場生も長生きして百を超えて生きるのである。
前受け身
万端の準備をして今夜の修練会に向かい
訓練の最後に前受け身をしてみた。
パッとすぐには出来ない。が、気持ちを整えて度胸を決めて決行した。ぎこちない軌跡を描いて曲がらない左脚を投げだす形で床に身体は横になっている。
二十年振りに前受け身をしたのであった。感無量であった。 first time in a long time である。一度出来た体技は
二回目からは少しずつ恐怖感を剥がす形で、反復練習をするとスムースに出来るようになっていく。時間の問題である。
もう心配ない。来週デイケアのリハビリの先生に受け身の話をして、リハビリの
マットの上で何回も前受け身をトライして恐怖感を取り除く。これが出来た後は
後ろ受け身である。同じように恐怖心を
捨て去り、度胸を決めて決行するのみである。度胸を決めることである。
厚いパッドが入っている膝当てを手放せないだろうが、完ぺきに出来るまでの私の友達だ。立つ際にひざまづいても痛みは無い。心強い友人である。家のベッドの上もストレッチの練習場になっている。次の段階に突入だ。ここまで三年である。手術もせずに、ここまでこぎつけた。あと三年したらどうなっているのか
想像出来ない。なんとか普通に歩けるだけでも、大きな奇跡である。立って
道場生と練習することをアメリカの元道場生が見たら、肝を潰すだろう。
人間の持つ再生能力は奇跡的な働きをする。私の身体で実験実証をするのである。このまま回復すると私には大きな
自信となり、さらに長く生きる確証を
持つであろう。
執着
私が関わったいわゆる武術家、武道家、
先生と言われた人、者は、執着を持っている先生は多かった。どの世界もそうであるが、カネ、オンナ、クルマ、贅沢、
名誉心、功名心などであった。武術武道には以上の執着は似合わない。特に尤氏長寿養生功は本格的な瞑想が訓練の基礎となっている。まるで商売人かサラリーマンのようにカネを欲しがり、オンナを欲しがり、高いクルマを乗り回してとなりにオンナを乗せていい気になって、貴族か何かのように贅沢したがった。しかし修練修行はしたがらない。
執着を離れることは難しいようである。
そんな時間があるならば、訓練瞑想に精を出せば良いが、本来武術に向き合う心を持ち合わせていないので、怠けて
そんな無駄なことはしたくない。でもカネもオンナも欲しい。こんな武術家が
宗家創始総師範と自分を呼んで神の武術を立ち上げた。そんなに執着して贅沢したければ、職業を変えろと言ったが、
それもしたくないようだ。カネが足りないから、
生徒からカネを借りる。返すあてがないので借りっぱなしになる。もう四十を過ぎて、すぐ五十に届く年齢になる。
一時期私の姓を名乗って、好き放題に
借金して寄付と言いつつ、カネを供出させて贅沢に使用して返済もない。
こんな人間が武術家瞑想家を名乗っている。
大した武術家武道家である。恥も外聞もない。よっぽどツラの皮が厚い。
身体は大きくても脳と心は小さく、器量は狭い。良くこんなに人を騙せるものだと
感心すらする。こんな歳になっても執着を離れられないならば、地獄にいくのは明らかなことだと大本教で習っているはずだが、後悔や悪びれた態度すらない。謝罪も無い。
日本の社会と大人をナメている。五十を過ぎたら、皺顔になって自慢のイケメンの顔も中年のオヤジ顔になり、オンナも以前のようには集まっては来ない。そんな時に瞑想をしても、 Too Late である。テレビに出て有名になってカネを
手に入れてオンナをクルマに乗せてエエカッコしたかった、名前を売ってセレブになりたかった。人を騙して、、カネの不祥事を起こして返済もせずに逃げ回ったことへの、大勢の人に心痛と経済的ダメージを与えたことへの、
神罰は必ず下る。こんな人生を送って、
死んだ母親にどう言い訳をするのであろうか?
私にはどうすることも出来ない。
一時期は助けの手を差し伸べたこともあったが、今はどうしようもない。
ジッと最期を見るしかない。
哀れである。因果応報の理りを知らないようだ。
縁
人間の一生を振り返るとどうしても縁ということを考えざるを得ない。
私が故郷を離れることを子どもの頃からいつも思っていたこと、私の父親が
少しではあったけど、英語が話せて、アメリカ人の兵隊と交流があったこと、
中学に入って英語の成績が良く、英語を好きだったこと、などの理由で英語の特化した大学を目指したことがアメリカに行く結果となる。もちろん大好きだった武道を大学時代に夢中で取り組んだことも大いに関係する。全てのことが私が
尤氏長寿養生功と出会う因果の因に
なっている。出会いが次の出会いを生み、そこからの流れが出来ていく。
これらは表向きの縁だが、目に見えない
縁もあるだろう。不思議な巡り合わせで人生の場面場面で縁の力が働いて、新しく流れが出来上がる。少林寺拳法を初めて練習した時もそうだが、尤氏長寿養生功の時も不思議にずっと前にやっていたようなデジャブーとでも言おうか、うすら覚えていた感覚があった。もしかして前世でもやっていたかもしれないという感覚であった。縁である。不思議な、
不思議な因果、縁である。なぜ今、自分がこんなことをしているということを
考えると良く分からない。でも考えると
場面場面で出会った人間は私に縁が
あったとしか思えない。縁を蹴飛ばすようなマネして去っていく者もいるが、
私はなるべくその縁を大事にして来て
今の私がある。縁は不思議なものだが、
切ってはいけないものでもあった。