勝利者と敗者

武術武道において、スポーツでも同じことだが、競争や試合となれば、勝利者と敗者に分かれる。一回戦、二回戦と勝ち進み、最後まで勝てば、チャンピオンである。ドクター尤老師と師母はいわゆる世に云うところのチャンピオンでは無かったけども、私にとっては、勝利者である。私が武術家としてこの世で最も尊敬し崇拝する方である。特にドクター尤老師は、少林拳の達人でもあって、当時のドイツ留学を果たし、皮膚科の医師となった方でもあった。意拳の王向斉先生の下で意拳の一番弟子となって、意拳の真髄を掴んだ後に、瞑想の部分をチベット密教の瞑想法と融合させて、武術としてより、養生法氣功として万民が楽しめるものに変えたのである。いっときの

勝利者を育てることよりも、生涯の、

人生の勝利者を育てようとしたのである。私の師母はドクター尤老師の年齢を超えて、百歳を超えても、若い者を

氣で投げ飛ばしていたのであった。お二方とも、真の勝利者である。我らが尤氏意拳の神田真澄こと神田吉隆ことカネだ吉隆は自分も含めて、武術の勝利者を育てようとしている。私に真実を暴露されて借金と供出させた使途不明金の返済を迫られて、鳥取に逃げたままである。未だに謝罪や返済計画もしない。日本拳法のチャンピオンと豪語しているが、チャンピオンらしからぬ行為行動である。

勝利者ではないのだ。むしろ、敗者である。チャンピオンとしての、人間としてのプライドもない。人間として敗者なのである。これほどの多くの人に迷惑と経済的ダメージを与えて、逃げ回ることしか出来ない奴なのだ。そんな奴が立ち上げた武術は見るまでもなく、そこに集まる者は、何に魅力があって武術の修行をするのだろうか?幼稚園児の知能と論理でドクター尤老師の名前を付けて、人生の敗者が真の勝利者の名前を付けたことは、私には苦痛と屈辱以外、何ものでもない。即刻、排除解散するべき、唾棄すべきものである。いっときだけのチャンピオン話を今だに金科玉条のごとく、宣伝に使い、それに惹かれて集まる者の

知能も幼稚園児のようなものと思わざるを得ない。実にアホらしい、バカバカしい武術団体ではある。世間にその脆弱なワザと人間性を知られて、あと何年持つか分からぬ団体をどう維持するのか?

幼稚園児が幼稚園児を引き連れて何処へ行くのであろう。尤氏意拳と尤氏長寿養生功は幼稚園と大学院の差がある。いっときの、勝った負けたの勝利者と生涯の、人生の勝利者を養成する同じ意拳の系列の団体のこの差は、一体何なのであろう?