新しい站椿

ドクター尤老師が王向斉老師から学んだ站椿は、当時、站椿にはいろいろな種類があって、一つの站椿を十五分行なうとまた次の站椿を十五分行なう、それが終わると次から次へと、ドクター尤は

そのシステムを習った後、伝統を踏まえながらも次なる自分の創意工夫を加えて

空勁の世界へと突き進んだ。尤氏長寿養生功の誕生である。尤氏長寿養生功では、十五分毎の細切れになっていた站椿を一つにまとめて、一つの站椿を一時間とした。この一時間の站椿を王向斉老師から、これではどうでしょうかとお聞きしてから許可を得て王向斉老師が納得してこの新しい站椿を認められたのであった。ドクター尤老師は一番弟子弟子あると同時に医師でもあってご自宅に王向斉老師を迎え入れて個人的に意拳の教授を受けておられたので、王向斉老師もドクター尤老師に対して、一目置いていたのであった。これによって、新生意拳の新しい站椿は誕生したのである。しかし、

日本の神田真澄別名神田吉隆本名姜吉隆が勝手に自分の実力と分をわきまえずに名付けた尤氏意拳とは名付け無かった。

医師であって、チベット密教の瞑想に深く通じたドクター尤老師は武術としての瞑想から健康長寿の瞑想へとバージョンアップして新世界を作り上げたのであった。