アホボン
大阪ではカネ持ちのできの悪い息子のことをアホボンと呼ぶ。ボン、ボンと
小さいときから、甘やかされて、
カネにあかせてただ遊びまわる箸にも棒にもかからないオトコに育つ。と、ここまで言えば、もう誰のことを言いたいのか分かるであろう。私が出会った頃は、
浪人生で、母親と姉に甘えて勉強もろくにせずに言うことと食べることだけは
三人前で、人から与えられる、恵んでもらえることを期待する袋小路に入った
情け無いヒョロヒョロの若者、アホボン
であった。すでに年老いて、もう一人のアホボンも抱える母親は二人も浪人生のアホボンに苦しまされていた。
私はその母親と姉を不憫に思ったのであった。上のアホボンとは縁が切れたが、
この下のアホボンとは腐れ縁がそれ以来、ずっと続くのであった。二人共に
志望する医学部には入る実力はないから毎年浪人する。兄は十年、弟は三年
無駄な時を過ごして、最後に私が引導を
渡すことになる。私が勧めた短大に
合格しても住居を決めない。怒り心頭に来た私が大叱責をすると逆切れして、
話の途中に私の家からプイっと出て行ってしまうのであった。私が使ったカネも
時間も無駄になり、親切でした行為は
恨みを買うだけの結果となる。もちろん
その後でも彼らの家賃は母親の要請で私のポケットから出て行くのであった。
下のアホボンは私の東京道場乗っ取りを計画して当時の私の収入全てを手に入れて若者が手に入れられないほどのカネをフトコロに入れることが出来た。この甘い汁を吸ったことが忘れられない。道場経営がいきづまって、寄付の名目で多額のカネを供出させて、私の名前を使った大借金のカネは高級車と高い靴とモデルのオンナに消えてしまい返済せずに今に至る。
今でもアホボンなのだ。この三つ子の魂は百まで続くと言うから、あと五十年ほどはそのままアホボンである。
このオトコの出生を暴露したのは差別偏見からではない。在日朝鮮人以前の
「人間性」を問題にしている。
これからもちょくちょくブログ記事のネタにされることをどのように思うのであろうか?尤氏意拳の宗家創始総師範の
肩書きはアホボンには似合わない。
大分荷が重過ぎるのではないのだろうか?
早く解散してまともに働いてカネを返すべきではないか?アホボンよ、