師父と師母

中国では武術の師匠が男性の場合、師父と言い、女性を師母と呼ぶ。尤氏長寿養生功をドクター尤老師の奥様であった欧陽敏師母を師匠に持った関係上、ドクター尤老師は私にとっては、師父と言えるほど短かに感じて、私が入門するまえに 亡くなられていたものの、毎日の訓練の中で師父、ドクター尤老師の話が出ない日は無かった。であるから、師母は師父でもあった。師父と師母は八十代、七十代の時に上海から香港経由で、アメリカサンフランシスコに中国共産党の手から逃れて移住して来たのであった。中国では、拷問も受けて、精神的、肉体的にも傷ついて、高齢になって、中国人のアメリカ最大のコミュニティの中華街のあるサンフランシスコにやって来た。その時は、日本人であった私には知る由もなかった。しかし、私は少林寺拳法を辞めて、新しく、心と肉体を鍛える何か私を根幹から鍛える武術を夢中で探していた時期でもあったし、丁度東洋医学の勉強も終えて、中国医学のライセンスを取ったばかりで、時期的にもぴったりなタイミングであった。その時はサンフランシスコの対岸のオークランドに住んでいたが、入門前にはサンフランシスコの近くの街に引っ越していたのであった。偶然に偶然が重なって、新しく、理想的とも言える瞑想と武術と鍼灸の基礎基本とも言える氣の養成と研究ができる氣功に出会えたのは、偶然というよりも、必然的なものであったかもしれない。いづれにしても、当時の私にとっては、全てがうまく噛み合って、日系人の私の患者さんの家の一室を無料で提供して貰ったこともあったので、全て修行の為に用意されての尤氏長寿養生功習得の出発となったのであった。1987 年から三十年を経て、私がタヒチに移住する時には、私は七十を迎えているだろう。三十年前には考えも及ばぬことであるが、人間の未来は予測もつかない展開を見せる。師父と師母と同じように高齢になった私も海外に移住することになっている。同じ軌跡を歩む私は師父と師母よりずっと恵まれている。私の両親よりも師父と師母を身近に感じて、習った尤氏長寿養生功を今では、タヒチを拠点にして、世界に押し広げようとしている私に師父と師母の霊魂と氣で、私の前途を加護していただきたいと願っている。幸いにも、最近のテクノロジーは 日本とタヒチがインターネットでは目と鼻の先になっている。テレビ電話で繋がり、タヒチから日本のみんなと訓練や講習会も出来るようになっている。今のところ、実験的に指導員との練習をテレビ電話で行なって、日本とタヒチの遠い距離感は無い。タヒチから氣を送り、何千キロも離れたタヒチから指導員を投げ飛ばしている。氣功がたくさんある中でも、こんなことができるのは尤氏長寿養生功くらいのものであろう。これも私が考えて、実行したものである。これを進化したと言うのかどうか分からないが、私が考えつくことをあれこれと最新のテクノロジーを駆使して試して成功したものは、積極的に使っているのである。便利な時代になった。この新テクノロジーのアイデアで日本とタヒチの間での空勁はいづれはテレビやマスコミで紹介されるであろう。