逆境

人生においては逆境は誰にでもある。逆境に負けてしまえば、それまでの努力は無駄になる。何よりも負け犬となって、どんないい訳をしても、負け犬の遠吠えとなり、そこから先には進めない。逆境を乗り越える為に自分が何をして、何をしないか選択する、本当の自分の知恵が必要となる。私が今、此処に居るのは順調に来た訳ではない。尤氏長寿養生功を修行していた時には、道場生の多くにただ日本人と言うだけで、敬遠されて、差別とでも言うような扱いを受けて、師母からも、私が毎日通い、日々上達するのを複雑な気持ちで私に接して私を嫌う中国人道場生から、あいつは日本人だから教えない方がいいです。と言う者に師母が、ついに、お前らは教えるな、とは言うが、こいつが

毎日来てうまくなっているのに教えない訳にはいかないだろう。と師母に私は言わしめたものであった。不可能と思われることも自分の正直さと努力で、人の心も変わるものである、と思った。師母におべっかと擦り寄る態度をする者に反して、私は練習と訓練で師母と道場生のイジメに耐えた。経済的にも日本での私の収入をすべて東京の道場を任せた者に取られてアメリカでは、一日一食の食事で耐えて、節食に手が震えたものである。そんな私について来た妻が病気になった時も膝と手首を大ケガして、右手一本で患者を治療しながら、食事も作り看病介護をこなしたが、その甲斐虚しく、妻が先立ってしまったのである。たった一人で、妻をお骨にして、家を処分して2015年に帰国した。去年予期もしないまた、ニセモノが現れて、私の心を引き裂く行為をすることも逆境に追い詰めるひとつであろう。逆境はチャンスの裏返しである、その逆境をバネにチャンスに変えて、雄々しく生きる、そんな生き方を神や天、宇宙が応援してくれるものである、と私は思う。逆境は神が与えた試練である。ジッと耐えて、人事を尽くして天命を待つ心で最大の努力をする。そんな者を助けてくれない者がいないように天や神も助けない訳が ない。タヒチに於いても、逆境が待ち受けていることだろう。それに対して、私は最善を尽くす。そして、私は雄々しく、人生を切り開く。そんな私を島の人々は私を見捨てるであろうか?