無価値で役に立たないもの

私が師母から習った尤氏長寿養生功は、紛れも無いホンモノの武術であった。人によっては、武術などと言うものはたかが武術であり、特に現代では、役に立たないシロモノで、カネにもならない無用なものと言う認識があるかもしれない。特に私が尤氏長寿養生功に出会った時は私は四十前の働き盛りで、家財道具全て売り払い、仕事も中断して毎日の修行に備えたのであったから、いつ終わるともしれない訓練を良い歳をして毎日瞑想する我が身に焦りを覚えていたことは事実ではあるが、私には、されど武術であった。一見、無価値で、役に立たないシロモノは修行している時には先が見えないかもしれないが、いづれはその価値が認められて、人類万人の役に立つ、日の目を見る時が来る。師母 亡き後に日本で心優しく静かな情熱を燃やす紳士たち仲間同志に出会い、今また、タヒチに於いて、同じく、顔は怖いが、心が天使の仲間同志に出会えた私は運が良く、一時期はこんないつ役に立つか分からないものに良い歳をして何が良くて、そんなに毎日訓練して何が面白いのか?と面と向かって、言われたこともあったのである。こんなことを続けて、私の将来はどうなるのであろうと疑心暗鬼になって焦りを感じた時もある。しかし、修行がピークに達した時に瞑想の後に言葉に出来ないほどの多幸感が私に訪れて、私の人生が変わり、私は生まれ変わったのであった。それからは焦る気持ちが失せて、更に修行訓練に打ち込む私がいたのである。そして今、私の下に心優しく情熱を静かに燃やす道場生が日本とタヒチに集まり、私は一人ではなく、私が体験した多幸感、幸せを国が違っても、私が分け与えることができる、ことは決して無価値で役に立たないシロモノではないと確信できるようになっている。私が私の人生をかけて、貧乏な生活に耐えて取得した尤氏長寿養生功が私ばかりか、万人の健康長寿に役立つことが分かった今、尤氏長寿養生功の伝播が私の天命であると思うようになった。ことこの尤氏長寿養生功には特別な想いを私は持っている。人には 何ものにもゆづれないものがある。自分だけにしか分からない自分だけの人生を人は見つけて生き甲斐を感じて生きることは無価値でも、役に立たないものでもない。と私は言い切れる。