常在戦場

第二次世界大戦時の日本海軍大将、山本五十六座右の銘であった。戦場だけでなく、日常の生活の中でも、戦場に在るものとして抜かりなく、回りに目を配り、戦闘状態に在るものとして日常どんな所でも戦の準備を怠らない。と言うことになるだろうか?私が主宰している尤氏長寿養生功の太田氣功道場にも常在戦場の心構えをしなければ、いつ寝首をかかれるかわからない。以前にも出た尤氏長寿養生功を利用する者たちが出たように何が起こるか予想もつかないご時世である。道場を任せた者に軒下貸して母屋を取られそうなことになったり、オンナと思って油断していると急に瞑想の大家となって大瞑想家で総大将としてデビューしてしまったり、油断しているとこっちの身が危ない。戦国時代なら、殺してしまえばそれで済むが現代においてはそうもいかない。稀代の氣功、尤氏長寿養生功のワザがホンモノで、妬みを持って、道場にワンサカ訪れた、今思えば敵は数え切れないほどいた。私が知らないうちに生徒道場生がグルになって締め合わせて練習日に大挙押し寄せて自分たちの都合の良い日に私に指導させるようにした。油断も隙もない。まさに常在戦場である。常に戦場に在ると思って生きなければ道場は安泰ではない。今、やっといろんな準備をして来たものが実をつけ始めている。収穫をする前に抜かりなく、夢に向かって、歩みを進める。右往曲折があるのは世の常ではあるけども、なるべく波風立てずに太田丸の船を目的地まで航海を続けたいものである。地方に講習会を開催しに一人で行くことができるようになっている。また道場への入会者が少しずつでも増えて来ている。龍神温泉でも氣功講習会を外国人に英語で開催する予定で、もちろん日本人にも整体講習会、鍼灸講習会を開く予定でもある。どんな時でも一人で仕事をする時には忙しい。氣功整体のクリニックもオープンする。また、ゼロからの出発である。このゼロはただのゼロではない。無限の可能性を秘めたゼロなのだ。一人の片手片足に障害を持つ老人のチカラが何処まで通用するか、見ていただきたい。