師匠と弟子と技能

私と私の師匠、欧陽敏師母との関係は、猜疑心と期待がミックスして、周りの一般の人が見たら少しi 異常と思われるほどであったろう。私が秘技を盗み取る為に道場に入って来たのではないか?と言う猜疑心がクリアー出来るまで私を疑っていたし、疑心が無くなってからは弟子として最大の努力を強いられた。どんな師匠でも弟子の才能と人物を見て、その弟子が合格すると本格的に教え始める。私が教えた者の中にも、いつか私を裏切って行くのではないか?と思っていたら、案の上実際に裏切り以上の行為をして道場を出て自分の道場を開いた者が二人も出てしまった。何が彼らにそんな過信を与えてしまったのかと疑問に思うのであるが、元々、そういう人間であったのだろう。産まれ持った資質がウソをついたり、人が持つものを羨ましがって、盗み取ることを何とも思わない人間性であったと思わざるを得ない。師母も教えた者の中にすぐに教え始める者がいて、師母から習って出来るようになったと言わずに自分で出来るようになったと言って自分の手柄のようにして教えていたと言うのであった。同じような者たちが私の道場から出てからは、師母の気持ちが良く分かるようになって、二人のニセモノたちは、それぞれ、自分が作った武術であると豪語したり、私の道場で習った瞑想と言わずにただ中国武術で八年かけて習ったとごまかして言っている。こんなことをする人間に教えていた時間が勿体無い。私の時間が、ワザが、瞑想が盗まれて、今、世界に広がりを続ける太田氣功道場が同じ過ちを犯すことのないように教授する方針を変えねばならないだろう。人が持つ妬みや欲望を刺激することのない教授法と法律的な対策を考えなくてはいけないだろう。人間関係と信頼関係が築けないうちに秘密のワザを教える愚かなことは出来ないのである。いまどき古い、と言われるかもしれないが、伝統のワザを教えることは技能であって、技術ではない。技能は技術に人間の能力が加わり、長い人生を師匠と共にして教わる伝統の秘技である。その関係を理解した者が受け継ぐことができるものなのだ。私と師母の関係もそのようなものである。三十年というワザが熟成することを見極めて師母が私に教授の許可をしてくれた。私の知る限り、許可をして金の指輪や写真を受け取った者は私だけであったと思う。他の道場生にそんなことを師母がしたと言うことは私は聞いたことがない。私と同じような期間、三十年を費やして訓練しろ!とは言わないけれども、最低限師弟関係を良好な状態にするべきである。私も高齢になって、師母やドクター尤の年齢に近づきつつある。私は今でも自分を師匠とか師範総師範などと思ったことも無ければ、自分をそう呼んだことも無い。私の師匠ご夫妻があまりにも雲の上の存在であるからである。師母とドクター尤老師が一緒に訓練している動画、ビデオを私が持っていて、それを見たり、写真を見る度にそんなレベルにはとても私が到達することはないだろうと自分の分と限界を知っているからである。それなのに、ニセモノ師範総師範は自分を最上級の最高の段にまで祭り上げて、悦に入っている。自分の大きな穴が見えないから、ニセモノである所以であるのでしょうがないのだが、メクラはヘビを恐れない。メクラがメクラの手を引いている。ここには師弟関係などと言うものは存在していないだろう。