イジメ

日本では、いまだにイジメがあって、社会人のあいだにもイジメがあるのだと言う。かく言う私もイジメを受けた。サンフランシスコの氣功の道場にも、私がたった一人の日本人ということで中国の武術社会では、警戒されて意地の悪い中国人の女が、私を六か月間監視監督下に置いて様子を見てから入門を認めようと誇り高ぶった態度で、私に言うのであった。これはイジメではなく、差別であったかもしれないが、私は徹底的に無視された。何も説明されない。教えられない。私に出来ることは他の道場生がすることをマネして動きを頭と身体に覚えこませることだけであった。イジメられることに無視されることに対しては、私の胸の中でよおし、今に見ておれ、そのうちすぐにお前たちを追い抜いて見せる。と決意をして訓練に励んだ。人が十回やれば、百回、百回やれば、千回する。自分が興味あることを出来るようになるまでは絶対根をあげない!こんな気持ちで毎日通い、練習時間は道場生の中で誰よりも多くなっていた。こんな風になって仕舞えば、誰も私をいじめる者はいなくなってしまった。道場の中も我が物顔で悠々堂々としたようにいつの間にか私が初心者に教える立場になっていた。イジメられてイジイジして行動しなければ、余計にイジメられるだろう。何か自分が好きなこと、得意なことに思い切り専念すると周りが怖れをなして逃げて行く。自分もイジメられていたことなどはとっくに忘れてしまっている。好きなことが、得意なことができるようになると、教えてくれ!と逆にあっちの方が下手に出て、頭を下げて来るようになる。イジメなどはあってないようなものである。逆転の立場になるには好きなこと、得意なことを徹底的に訓練練習することである。氣を強く大きくする、その為には好きなことをする。得意なことを徹底的にすることなのである。