going my way 我が道

私の道は、いつも険しく果てしない。日本で生まれ、好きだった英語を活かせる選んだ大学を経済的理由で卒業出来ずに渡米したアメリカでは、最下層の力仕事で生計を立てて武道の教授をしていたし、師母と出会いの後も順風満帆でこの氣功を学んでいた訳でもない。氣功勉強前の中国医学の学校も入学金と授業料を篤志家が立て替えてくれたのであった。もちろん働いて返した。今でも繋がりがあり、時折、メールを送るが、消息が途絶えている。共通の友人がコンタクトがあるから消息が判明するのも時間の問題だろう。幸運にも初めての州試験で合格する。中医の資格が出来た年に師母との出会いがあり、それが尤氏長寿養生功との関わりの始まりである。1987年のことだった。この氣功を習得するに大変な差別と嫉妬があった。アメリカで、中国人と白人だけの武術団体に私一人が日本人である。第二次大戦時の日本軍の中国人への行為の反感が一挙に私を襲い、私が頭角を現して来た時には嫉妬が襲う。私が通氣をもらう前には頂点に達していた。私が日本に大阪で道場を開けた時にも日本の氣功に携わる者の嫉妬を受ける。師母の急病異変の知らせと師母が私を召喚する報を聞いてすぐアメリカに帰国する。師母が他界するまで訓練を再開継続して師母の死を見届けて日本に2015年に帰国した。実に43年間の在米生活であった。裏切りとニセモノ出没の日本を後にして、来年、また日本を離れてタヒチに居住地を移して、世界進出を計画実行する。私の道はまだ終わってはいない。そして険しく果てしない。が、最近、私の氣功に興味を持ち、手伝ってくれる新規道場生と氣功学校の学生が現れている。険しく果てしない道を少しでも楽にしてくれる。この氣功を日本全国、世界に拡める私の夢を私の夢だけに終わらせずにみんなの共通の夢にする者、共通の夢としたい者の太田氣功学校と氣功道場への参加を促したい。自分の一番得意とすることで太田氣功道場を支えてもらいたい。適材適所に配置して、日本全国進出、世界進出に協力していただきたい。