破門者の名前

尤氏長寿養生功太田氣功道場からの二名の破門者、私が破門にした者たちの我々が知っている限りの名前を公表する。両名共に名前を隠していた。一人目はもう知っていると思うが、尤氏意拳明光武道自称宗家創始総師範の神田真澄こと神田吉隆こと姜吉隆である。誰でも出来るよう私が開発した勁空勁を尤氏長寿養生功の極秘のワザを全て学んだ、と言って、二十五年ほど前に習ったものを後生大事に尤氏意拳の核として、オンナの子のジャンプと私に酷評されて、一時は隠し、ほとぼり冷めたらまた掲載する、だらしのない「師範師」である。氣の武術と言いながらも、日本拳法しか出来ないのでその実日本拳法を教えている。もう一人は、太田氣功道場に三年ほど在籍して、急に指導員コースにムリムリ自分を押し込むように入って来て、私には尤氏長寿養生功を辞める選択肢はありませんと言いながら、今年ある日、突然、田舎の香川に帰ります!と言った切り戻って来ない者が急にいつの間にか東京でキッパリ道場と言う名前の道場を開いて生徒を集めてキッパリ人生を生きましょう、と自分自身はキッパリしていない態度の者が教え始めた者の名前は、我々が知っている限りでは、山地 花緒里と言う。山地 は五年ほど姜吉隆の門下生、生徒であった。ニセモノを習っている、と気づいて、太田氣功道場に移籍して来たのであった。五年も時間とお金を無駄にさせてしまった、という私の同情心から指導員コースには即座に入ることを認めたのであった。勁空勁の練習が分からない!と言って泣いているとの報告を受けて、エクストラに指導して、ジャンプ震脚がオトコ顔負けに出来るようになった矢先で、他の世話になった指導員の気持ちなど無視しての卑劣な行為であった。ところで、山地 花緒里と言う名前が本名であるかどうかは分からない。尤氏意拳でもただ、花緒里、と名乗っている。よほど姓名を名乗りたく無いらしい。姜吉隆も名前を隠して、私の名前を利用して、九百万円の大借金を老年女性道場生から私の名前をつけて借用書を書いてせしめて、未だに一円の返済も無い。破門にされる人間の特徴は本名を言わないことだ。私はなぜそのようにするのかその理由を知っている。でもここでは言わない。キッパリとして勇気のある人生を送りましょう、と言うならば本人が率先してキッパリとしてはどうか?まして、教員免許がある、と言うならなおさらだろう。本名を隠して住所も無い。住所不定の本名も言わない学校の先生は尋常ではないだろう。そんな者が瞑想を上座に座って瞑想を教えても、胡散臭く無いか?教員免許のあるモデルに言いたい。キッパリしなさい!と。この両名に私は失望している。両名の見かけと言葉には、私が勝つはずがない。この立派な見かけと言葉に騙された。一杯喰わされたのであった。もう、この両名の言うことを私は、二度と信じない。中身の無い武術と瞑想を教えている人間はこんな人間たちである。何が真実で何がウソなのか、誰にも分からない。こんな人間たちは私の道場には置いておけない。いつ後ろから刺されるか、心配だ。そんな者たちが道場を開いてそれぞれ、総師範、総大将、と自称している。そのタイトル肩書きも自称だから、本当かどうか分からない。本名を言えない者が自称で、総大将総師範と言っても信用出来ないだろう。それでは、何故に私の太田氣功道場に習いに来たのであるか?ホンモノを学んで、自分たちはニセモノを教える。肩書きも自称である。こんなキワモノを中国の言葉では羊頭狗肉と言うのである。羊の頭だけ表に出して、イヌの肉を売る。詐欺商売の定石である。私にこんなことまで言わせた原因はこの両名の破廉恥な愚行である。修行も満ちていないのに師範ヅラして教え始める。習ってもいないことを習った、と言うに至っては犯罪である。借用書に私の名前を書いて、ハンコまで押す。立派な犯罪である。そして、キッパリと本名を言えない者がキッパリ人生を提唱する。一体、こんな人間たちが道場で何を教えると言うのか?もう一度言う。この両名の道場には通わないでもらいたい。また、例え、通っていて、何が起こっても、両名共に破門しているので、その責任は私と太田氣功道場には無いことをキッパリと言って置く。

 

今年最後の講習会

太田氣功道場では、本年最後の講習会を浦和駅パルコにて開催する。今年は太田氣功道場にとって、飛躍的な年であったと共に目立ちたがりの師範師がニセの瞑想道場を開いた年でもあった。良いエネルギーと悪い、自己顕示欲のエネルギーが交錯する年でもあった。タヒチに十二月に行く前に脚の手術を済ませて、体調は以前と比べて比較にならないほどの回復を見せて、この講習会では、私のバージョンアップした氣とワザのオバケ拳法をお見せして体験していただくことになる。乞うご期待!

刀と勁空勁

最近、日本刀ブームで、特に女性による日本刀鑑賞がブームらしい。知っているように日本刀は砂鉄の塊を火で焼いて鍛錬をする。刀鍛治職人が日本刀を鍛錬するのに何回打つのか知らないが、テレビの番組を見ていて、尤氏長寿養生功の訓練に似ていると思った。鉄の塊を打つ理由は塊の中の不純物を取り除き、一定の形に整えて行くのだが、我々のジャンプ、深脚の訓練と同じで、ジャンプする度に身体から不純な物質が汗になって身体は浄化されて行く。日本刀の鍛錬が何回か分からないが、私の震脚の回数は二十年で七百二十万回を数えた。汗はアゴから滴り落ちて、着ていたシャツを脱いで、シャツを絞ったら、バケツの水に浸した雑巾のようにジャーっと汗を落とすことが出来た。私の勁空勁はそんな修行によって生まれたものなのだ。日本刀は切れ味鋭く、美しい。美術品であり、殺傷能力もある実用性も有した、日本の魂とでも言える文化財で、その中には国宝級のものもあるようだ。私は尤氏長寿養生功の勁空勁も日本刀のように、投げたり、コントロールする時には、美しく、切れ味鋭いものとなるように心がけている。私の夢、目標はこの尤氏長寿養生功が日本刀と同じくらいの文化財としての認知度にすることである。その為に世界でも認められるようにこれから、日本だけでなく、世界の国々に広めて、認知されることを期待して、世界に進出する。今の私は指導員と道場生を鍛錬する刀匠のようなものである。

One for all , All for one

 この言葉はラグビーの信念を現すものであるが、私はこの言葉を尤氏長寿養生功にも使いたい。その特異な勁空勁のワザとチベット密教の瞑想に惹かれて良い者も悪い者も集まってくる。根性の悪い者は自分の為だけの訓練を考えているが、理想的には一人が他の人の為、人々の役に立つ為に修行をしてもらいたい。そして、みんなが一つの為に修行する。尤氏長寿養生功を広めて、ドクター尤と欧陽敏師母を顕彰する為に行動する。ドクター尤はこれだけの意拳の訓練を氣功武術に転換して、チベット密教の瞑想と融合させて、人類の遺産とも言う武術文化と健康長寿養生法として確立したのである。どの国にも存在しないものである。今、やっと、日本にホンモノの尤氏長寿養生法として私が指導しているのであるが、心の無い者が跳梁跋扈して太田氣功道場の秩序を乱しているのではあるが、One for all, All for one  の信念で、ますます、研鑽と精進の心を失わずに尤氏長寿養生功の継承は続けられている。心無い者たちに分断されて途切れそうになりながらも正しい技法とその考え方、哲学は細々ながら、継承されている。まもなく、ニセ武術とニセ瞑想の両名を尻目に世界へと、こんな輩たちの手の届かぬところへと太田氣功道場は飛躍する。途中までのワザとチカラは何も自分の為の向上無く、教えるものも無い内容で武術と瞑想の道場を運営せねばならない。悪運強く、私の年齢になるまで道場が続くとしても、生徒にどんな修行を何年したのですか?と聞かれたら、どんなように答えるのであろう?そして死の直前に自分の修行に悔いは無かったと言えるのであろうか?One for All,All for one  と生徒に言えるのであろうか?

生命の輝き

我々は生まれた限りは、我々の持っている才能をとことんまで開花させて、大きな花を咲かせたいのは誰しもである。私は尤氏長寿養生功に出会い、全てを投げ打って、修練修行に打ち込み、世界に武者修行して、そのワザとチカラを試して私の持っている限りのチカラを私の勁空勁の完成に打ち込んだ。失敗の連続から学んだことは多い。ついに遠く南洋の島、タヒチに於いて、私のワザとチカラが認められて私が生命をかけて磨いた技術をタヒチの人々の役に立てる機会を得て、この上ない喜びを感じているこの頃である。私の生命を輝かせていると感じている。何か自分の熱中出来ることを見つけて自分の生命の光を輝かせることは可能である。私が出来たのであるから、誰にでも可能であることは疑いない。たったひとつ守らねばならないルールがある。ウソと虚偽と裏切りがあっては、生命の光は輝かない。我欲の無い修練修行に生命の輝きに光が当たる。

奸計と策謀

武術と医学の究極の目的、哲学は弱者、病者の救済と横暴な者を取り押さえて奸計と策謀を巡らす者には協力しない心である。尤氏長寿養生功に現れた策謀と奸計を巡らす者たちは入門する時には、善人を装い、背に短剣を帯びて、刺す機会を窺いながら時期が来たら、修行半ばで、許可無く、実力も無く、恥も無く、己れの道場を開いて自己顕示欲と金銭欲の発現の実行をした。太田氣功道場には彼ら以外にも同じ目的で、その機会を講習会に参加して窺いに来た者も数多い。入門時に質問票を提出させて、人物のチェックをして、寸前で、ワザを盗んで自分のしている武術の足しにしようとする計画がバレたと思い、入門を思いとどまった者もいる。尤氏長寿養生功を利用して出汁にしようとする不逞の者は多く、私は師母との約束で、そんな者には指導員と同じレベルまでには、絶対に教えない。ある意味そのやり取りは神経戦となって、それを察知した者が、サッサと逃げるように退会して瞑想の道場を立ち上げたのかも知れない。いづれにしても、ホンモノの氣功武術を継承している私はこんな汚ない策謀と奸計を巡らす者に手を貸す訳にはいかない。弱者病者には全力を尽くすが、横暴にも、全て、持つだけのものを持って、そのまた、さらなる欲望を追求する者の奸計には鉄鎚を降すのみである。あまりに身勝手で欲深いそのやり方に憤りを覚える。弱者病者には同情を覚えるが、こんな横暴な奸計と策謀を巡らす者にはムチを加えたい。このスタンスが尤氏長寿養生功の太田氣功道場の立場である。素直な気持ちで裏心の無い入門者にはとことんまで教えるが、策謀と奸計を胸に秘めて入門する者は排除する。尤氏長寿養生功の質のレベルを落とす訳にはいかないのである。私の道場から離れてニセ武術とニセ瞑想を教える両名の命運はすでに尽きて、その未来などは無い。

才能

人の才能には私の経験では、ふた通りある、と思われる。ひとつは、生まれつきに持って生まれた身体が習うものごとにぴったりのもので、あまり苦労せずに習得出来る能力、一回見て、練習したら覚えてしまう能力と言える。もうひとつは教えられたワザやモノを一回では理解出来ないものを、百回でも千回でも、飽きずに練習出来る能力、ある一定の回数に達した時には自分の能力が、師匠のワザを一回見ただけで、それから先は、一回練習しただけで、ワザを自分のものに出来るようになる能力、である。私の場合は、前者の能力は無く、天才肌でもないので、一回見ただけでは理解出来ない。それで、出来るようになるまで、訓練する。それが一万回であっても、実行した。自然と考えなくとも、身体の方が反応するようになって、海外での武者修行の時に開眼した後には師母のしていること教えようとしたことは、全て理解出来るようになった。凡才が天才になった瞬間であった。天才がゴロゴロしてある訳では無い。凡才が弛まぬ訓練をして、天才になる。このことに気付けば、どんなことも究極のレベルに到達するようになると理解出来るようになる。今、思い出すと、血の滲むような訓練も懐かしく思われるのである。