身体を作る

健全な身体には健全な心が宿る。あるいは逆もまた真なり、で健全な心に健全な身体が宿る。いずれにしても、先ず最初に身体を作ることから始めねばならない。尤氏長寿養生功を修練して、タヒチで開眼して私は気づいたのである。見えない氣を養成して勁空勁が出来るようになるには、先ず、身体の基礎を固めて作って初めて、ワザが出来るようになる、ということを。身体が出来る前にいくら、ワザを習っても、一時的なもので、一生ワザを続けることは出来ない。しかも、勁空勁は、生徒に出来るだけが精一杯で、新しい分野を開発開拓することなど、身体に充分な基礎がないから、充分な氣は構築されていないので、それ以上のレベルにはならないのである。見てくれだけのカッコだけの勁空勁であって、その状態で弟子や生徒を取れば、下に続く者たちは師匠以下のレベルになることは目に見えている。基礎を築く前に自分の欲望を遂げることは砂の上に家を建てるようなもので、チョット揺れたら、家は倒れてしまう。同じことで、基礎訓練が短い者は身体も氣も充分ではないので、いづれは倒れる運命にある。いっときの欲望やすぐに師範になりたいという売名の虚栄心の心では基礎の身体と氣を作ることなど、出来はしない。今いる生徒は師匠のハナクソ以下のクソになることは自明の理である。