Hit,

 不打 プーター、  打 ターと言う師母の言葉は勁を打つ時と打たない時に使うもので、英語では、もちろん、Hitと言う。初めのうちは軽く打たれていたが、私にチカラがつき始めて、だんだんと打たれる氣のボリュームが大きくなって、ある時には、大声を出さなければ、我慢出来ないほどの氣の出力で打たれるとその夜に興奮して眠れぬほどに身体に氣が残り悶々とした夜を過ごした時もあった。一般の普通の人間ならば、耐えられないほどの氣の量で、吐いてしまったりしていたであろうが、毎日通い続けて何十万回、何百万回と師母の氣で打たれた私には免疫がついて、普通の生徒より何十倍という氣の量で打たれても、私には平気なものとなっていた。そんな時には私はもう一度打ってみろ、とばかりに次の攻撃を準備して立ち向かって行くのであった。私には修行中にどんなケガをしても、例え、死んでも、この氣功の秘技を解明して出来るようになる限りは、そうなってもそれが私の運命としたら、それでも良い、と思っていたので、逆に強く打たれることを私だけにしてくれていると思って、ありがたく感じていた。強く打たれるほどに私の氣が強くなって行く感覚があった。案の定、私の氣は相当に強くなって、他の同輩や先輩と推手をすると、私の氣の重みを感じて、相手の脚が耐えられなくなって、脚をすぐに逆脚に変えたり、推手をすぐに辞めよう、と言うのであった。こんな時に私の修行の方法と姿勢は間違ってはいない、と再認識するのであった。