瞑想のレベル

瞑想家と呼ばれるまでには何時間、何日、何年の期間、瞑想の師に就いて、修行をしなければならないのであろう。私は三十年間のあいだに師母に就いて、四万四千四百四十時間、瞑想した。数えた年数は二十年であるが、実際は三十年である。瞑想はもっと長い時間になる。その結果、今こうして尤氏長寿養生功を太田氣功道場で教授する立場にある。一方、私が一時期教えた尤氏意拳明光武道の神田真澄こと姜吉隆はアメリカの私の家で寝泊まりした一カ月だけの訓練を以って、尤氏長寿養生功の真髄を会得して尤氏意拳を創設したと言っている。そして、その新氣の武術は日本独自な古神道から受け継いで、昔からある武術なのだとも言っている。そして、站椿功を武禅と言う瞑想なのだ、と。真っ赤なウソをこう言う小賢しい屁理屈の悪い頭で考えた、平気で、口からでまかせのストーリーをホームページに書く行為を私は詐欺だと言っている。一カ月私の家で毎日瞑想したとしても、せいぜい三十時間の瞑想で、修行の時間では、私の一年修行した一般道場生に劣る。震脚も今は来なくなった、女子道場生に劣る。三十時間の瞑想で、瞑想家、武術家になれるなら、その瞑想主体の武術と呼ばれる尤氏意拳明光武道とはどんなものか、大体検討がつくであろう。古神道から派生した瞑想主体の武術と言うものを私は見たことも聞いたこともない。古神道に詳しい人に一度、そんな武術が古神道に存在しているかどうか聞いてみてもらいたい。たぶん、そんな武術は見たことも聞いたこともないと全員が言うだろう。またウソと虚偽ででっち上げた自分だけの、自分だけに都合の良い、話である。本当に尤氏長寿養生功の真髄を会得するほどの瞑想をしたならば、中国の瞑想の武術が古神道の武術に結びつくはずはない。何故かは、いっぺんに分かってしまう、つぎはぎだらけの論理だろう。站椿功を真髄のレベルまでに修行していないからでまかせのストーリーを何日か寝ないで考えに考えた、もっともらしいウソだった。一時期教えて姜吉隆のすみからすみまで知っている私の目をゴマかすことは出来ない。恥を知る者はこんな真っ赤なウソをつくことは出来ない。