こころとかたち

永続的に続く伝統を守ろうとすれば、ふたつのものを正しく受け継ぎ、正しく教えて次世代に正しく伝えないといけない。精神、こころと技、かたちである。尤氏長寿養生功の勁空勁は習得するに何十年という修行ののちに出来るようになるもので、一朝一夕にその辺のどうでも良い武術武道の軽々しい突き蹴りを二、三ヶ月習って出来るものではない。そして形が出来るように見えていても、こころが伴わなければ、すなわち、瞑想の長い時間で、自分のこころを調御して自分の我欲を制するところまでこころを磨かねばならない。そうして初めて教えることができるのである。どんなものでも何世代も続く伝統の技を受け継ぐものはすべてこころとかたちを受け継いでいる。かたちが出来るまで私は七百二十万回のジャンプ震脚を行なった。こころが出来るまで四万四千四百四十時間の瞑想も行なった。こののちに私は勁空勁の開眼をして尤氏長寿養生功の奥に潜む原理を悟ったのであった。今思えばその道のりは遠かったとも思えるし、短かったとも言える。夢まぼろしのような、あの辛かった修行時間は夢だったのではないか?と思われる。しかし、私は実際、道場を開いて尤氏長寿養生功を教授して、勁空勁のワザを指導員と道場生に伝えている事実がある。他の日本人は同じことを出来ないから、私が習得したのは間違いのないことである。そして、今でも朝晩に瞑想を続けているのである。私が詞母の毎日の行動を眼に焼き付けていたことである。英語では the way of life, と言うが、生活様式、生き方、生きざまとでも訳するだろうか?生き方を学んだのであった。人生を長く生きて来て、伝統と言われるものの中でも、決して失ってはいけないものがある。尤氏長寿養生功はまさしくそういうものであった。絶やしてはいけない、と必死に訓練を受けてついに日本に持ち帰った。今度はみんなの番でもある。せっかく持ち帰った貴重な伝統を誤って伝えてはいけない。金のワザをメッキの色でごまかされてはいけない。そのこころとかたちを曲げずに伝える尤氏長寿養生功を保護していただきたい。そのワザは国宝のように貴重で、金のように価値あるものである。ただの武術でなく、単なる瞑想でも無い。その価値を貶めてボロの武術に辱める者たちを助長させないでいただきたい。貴重で価値あるものにはそれ相応の扱いが必要である。尤氏長寿養生功は今では、日本の宝となって、世界の宝となろうとしている。