貧しい発想と心

中国の古代から続く科学で、智慧である氣功は現代において、どのような役割を果たすべきなのか考えてみたが、氣功の訓練は一人王様や皇帝を長生きさせるものであったものを、人民万民の為に、特に尤氏長寿養生功ではドクター尤老師が医師としての立場から万民の健康と長寿に利するものとしてチベット密教の瞑想と融合してこの時代に殺人の為の道具としてではなく、活人として、医術の一環として打ち立てたものである。それを武術のたった一人の人間の試合を勝ち抜く道具として、訓練する心の貧しい、発想の貧しい者もこの時代に現れている。せっかく習っても、こんな貧しい発想しか出来ぬ者に教えてしまった私には大きな虚しさが残るばかりである。ただ己れの利益と権益のみに囚われる者の発想は何の人類にとって役立つものはない。発想の貧しい者は心貧しい人生を送るだけである。一事が万事という言葉通り、何をしてもさせても発想、心が貧しければ、何をしても上手く行く訳がない。