人生を堂々と

この歳になって、自分の人生を振り返って見ると私の日本での生活が二十五年、アメリカの生活は四十三年、で日本に帰国した。アメリカの生活が日本の生活より長いことは今のところ、事実である。アメリカ暮らしが長いからと言って、私が日本人であることには何の変わりがある訳では無い。アメリカに居ても日本人としての誇りや魂を忘れたこともない。日本を離れる前も、渡米後も私の生活には変わり無くあいも変わらずの貧乏暮らしではあったけれども、誘惑に負けてまともな仕事を放り投げること無く、肉体労働の庭師のヘルパーなどをしてプライドを傷つけられることもあったが、武道教授で精神のバランスを取っていた。アメリカでの生活の一日一日を一生懸命に妥協すること無く堂々と生きていた。日本人の私に対して無礼な態度を取るアメリカ人には日本人の誇りを忘れずに英語で言い返し、ある時には逆ワザをかけて、またある時には拳に訴えることもあったのである。一歩も引き下がらない。尤氏長寿養生功の訓練をスタートしてからは、私一人が日本人であるので、日本人の代表として弱音を吐くことは出来なかった。周りの人間は週一回しか行かないところを私は師母との訓練の回数が大事と思い、毎日二回練習した。一回に三時間半、一日七時間、一日仕事である。でも辛いとは思うことも無く、今になって見れば、アッと言う間の三十五年の修行であった。師母の死を見送り、妻の最期を看取って2015年に帰国して三年が過ぎる。アメリカの尤氏長寿養生功の過酷な訓練で壊れた膝は悲鳴を上げて、今では杖無くては歩けない。身体障害者とはなったが、アメリカの生活と同様に貧乏なのだが毎日を懸命に生きて、今では日本人で私一人が尤氏長寿養生功を受け継ぎ、日本でこの世界一の氣功武術を教えている。貧乏な身体障害者の精神を強力に支えるものは日本人としての誇り、世界一の氣功武術を体力と膝の限界まで訓練した経験、そして氣功武術家としての矜持である。大げさな言葉で自分を飾り、ウソまでついて経歴を誤魔化してまで師範になったのではない。渡米前の私の日本生活は貧乏で大学を卒業出来なかったが毎日懸命に生きていた。アメリカでも同じで、堂々と生きた。四十三年後に帰国しても経済的に楽になった訳ではない。思えば、私の人生は武術武道との関わりの人生である。貧乏で身体障害者の老氣功武術家はそれでも心は挫けない。氣功の氣とワザが進化して来て、最近ではますます幸せになって、堂々と生きている。現在の自分に満足している。例え貧乏でも、身体障害者でも人生を堂々と、ウソと虚偽なく、生きていれば、必ず自分に必要な出会いがあって、幸せになる道は開ける。私はもうすぐタヒチに移住して尤氏長寿養生功を世界に拡める身ではあるが、タヒチに行っても堂々と私の人生を送る。すでに私は幸せになっている。