近道

伝統のワザと瞑想を学び、これの習得を目指すことには近道はない。二人の愚かな者たちが、ワザと瞑想を盗み取って、自分の武術と瞑想の道場を立ち上げたのであるが、こんな近道は結果的には何処へも到達することは出来ない。元々、夢などはなく、金銭欲と自己顕示欲の願望を果たす為の行為であるから、高度な夢や目標などはあるはずも無い。サンフランシスコの道場にも北欧から来た者が、脳波をアルファー波にする脳波計を使っての瞑想で通氣を急いで通氣を貰った者がいたけども、勁空勁は出来ていなかったようなので、無駄骨だったであろう。通氣をどれだけ早く貰うか、という競争ではないのだ。どれだけ早く道場を開くか?でも無い。焦点を何処に当てるかということが分かっていない。もし近道があるとすれば、それは私が毎日二回訓練に通って、師母と一対一の修行をしたことで二十年で七百二十万回の震脚を敢行したことであるにちがい無い。私の修行は私がアメリカを去った後に伝説になっていた、と聞いている。師母は毎日のように、ミッツはこうした、ああしたと毎日のように言っていた、と言う。年数と回数をかけた訓練の後に出藍の誉れとなって、師匠を越えることが可能になり、伝統のホンモノのワザを身につけて継承することができるのである。